草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

やっぱり自衛隊を悪者にしようとしていた官邸サイド!

2012年04月16日 | 政局

 だから言ったではないか。NHKが防衛省の政務三役あたりのコメントを聞いて、自衛隊を悪者にしようとしていると。今日の朝日新聞デジタルが伝えているように、防衛省がまとめた時系列原案によると、米軍の早期警戒衛星の発射情報を受けて、同省運用企画局長ら幹部が午前7時58分には官邸側に伝えたのだそうだ。午前8時16分になって防衛省から連絡があったというのは、自己弁護するための官邸側の嘘であったのだ。その情報を知っていながら、なぜか午前8時3分には、内閣官房の緊急情報システム・エムネットが自治体やマスコミ関係に「我が国は発射を確認していない」と流したのである。そこでとんでもない失敗をした官邸側は、集中砲火を浴びるのを恐れて、あえて防衛省のせいにしようとしたが、かえって真実がばれてしまったのだ。その情報操作に飛びついて、自衛隊に濡れ衣を着せようとしたNHKは、一体どう弁解するのだろう。いくら民主党政権の御用達であっても、そこまでするのはやり過ぎだ。政権交代が行われたことで、私たちが心配したのは、自衛隊や警察がメチャクチャにされることだった。政治主導という名目で、自衛隊のトップが切り崩され、純粋に国を愛する隊員たちとの間に溝ができれば、由々しき事態になりかねない。しかし、それも危惧に終わろうとしている。民主党政権は統治能力ゼロであり、言い逃れをするのが政治だと勘違いしており、そんな政治家に誰も付いてはいかないからだ。

 
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国柄が破壊される自由放任よりも今こそケインズではないか!

2012年04月16日 | 思想家

 最近になってまた株価が下がっているばかりでなく、日本経団連の研究機関の21世紀政策研究所も「効果的な成長戦略を実施しなければ、先進国から脱落しかねない」と悲観的な見方を発表した。お先真っ暗という風潮のなかで、今見直されつつあるのがケインズである。ケインズをまともに読んだことがない私でも、佐伯啓思によって、その理論の一端に触れることはできる。なぜ公共事業の必要性を説いたかについて、佐伯は『経済的自由と「公民的自由」』(『大航海』・2007年1月5日発行)のなかで、核心を突く解説をしている。「それは、とりもなおさず、グローバル化した国際経済の中で不況にあえぐイギリスから資本が海外逃避することを防ぐためであった。グローバル経済の中で資本を海外逃避させるぐらいなら、政府の管理によって国内で公共事業を行うべきだというのである」。そうしたケインズの考え方を受けて今、中野剛志や柴山桂太らの若い学者が頑張っているのだろう。民主党政権のお粗末な経済政策によって、デフレは一向に収まらない。ようやく自民党が、首都圏の震災対策などに200兆円を投じることを、次の総選挙の公約に掲げた。国債を財源にあてるのだという。 バラマキでその場しのぎの民主党よりは、はるかに期待できるのではないか。しかし、その場合にも、今の日本のエリートたちに、公共の精神があるかどうかが問われる。彼らの心の中に、自分たちの利得を超えた、日本という国家がなければ、それこそ官僚による利権の巣になるだけであり、やるべきことにもブレーキがかかるわけだから。

 
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政治の復権と禁欲の高い精神がなければ原発再稼動は無理

2012年04月16日 | 思想家

 さてどうしたものか。日本国民が頭を痛めているのに、原子力発電をストップするか、それとも続けていくかの大問題がある。枝野幸男経済産業相は、ここぞとばかり国民を恫喝するような発言を昨日した。「5月6日から稼動の原発は国内でゼロになる」と述べて、すぐにでも電力不足になるというのだ。これまでは、サヨクらしく脱原発に向かうかのようなリップサービスをしておきながら、土壇場になってこのざまである。脱原発の急先鋒になるはずの菅直人前首相の声が、どこからも聞こえてこないのは、野田政権の原発推進を、容認しているからではないか。私は「統治能力なき今の日本の政治では、原発を動かす資格がない」と主張してきた。それができないような政治であれば、原発から手を引くしかないのである。さらに、文明史的にも、原子力技術は新たな課題を突きつけている。高山岩男は『教育哲学』のなかで、従来の技術と原子力技術の違いを取り上げ、「現代の物理学はだんだん自然の根源を窮知する方向に進み、技術もこれに応じた変貌の兆を示してきたが、ここに画期的な段階に入り込んだのが原子力とその技術である。これは個々の存在に関わるというよりは、むしろ存在の根源に関わるものである」と書いている。そして、高山の言葉を借りるならば、「正しい技術文明には禁欲の高い精神が潜んでいなければならならぬ」のである。原子力村の利権に象徴される逸楽や安楽を目標とすれば、とんでもないしっぺ返しを受けることになるからだ。原発をどうするかの大問題は、政治や文明史的課題とも、密接不可分なのである。

 
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