酒瓶は一升なりしころがして闇の巷にころころころと
命果て恋しきことがなくなれば酒の苦さもなくなりしかな
牧水も勇も我も酒呑めば五臓六腑が悲しみにけり
春は来ぬ一升瓶を立ておきて宛なきメール天まで届け
春かなしかの人の言なつかしく酒をあおれば涙しこぼる
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酒瓶は一升なりしころがして闇の巷にころころころと
命果て恋しきことがなくなれば酒の苦さもなくなりしかな
牧水も勇も我も酒呑めば五臓六腑が悲しみにけり
春は来ぬ一升瓶を立ておきて宛なきメール天まで届け
春かなしかの人の言なつかしく酒をあおれば涙しこぼる
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小沢一郎が有罪になろうとも、はたまた無罪になろうとも、二度と出番はないと思う。しかし、明日の東京地裁での判決を前にして、魑魅魍魎が跋扈し、権謀術策がまかり通っていることだけは、外野席からもうかがい知ることができる。今の民主党執行部から小沢は見捨てられたのである。平成の脱税王鳩山由紀夫は罪に問われなかったし、在日から献金を受けていた菅直人も、司直の手に委ねられることはなかった。実際のところは、鳩山も菅も、そして小沢も50歩、100歩なのである。小沢だけが司法の場で裁かれるのは、それなりの理由があるのだろう。野田佳彦首相は、政権運営が行き詰まっているから、自民党と手を組むしかない。それにはお土産が必要であり、小沢を切るというのを、言葉ではなく、具体的な行動で示す必要がある。小沢が有罪になれば、野田は満面の笑みを浮かべることになるだろう。自分たちが表向き手を下さなくても、その時点で小沢は、政界から抹殺されるからだ。政治は綺麗ごとではない。邪魔者がいれば、それを追い落とすためには、手段を選ばないのが普通なのである。平成4年に自民党を離れてからの小沢は、それまでアメリカのポチであったのを忘れたかのように、新たな道を突き進もうとした。その志は了としても、誰とでも野合したことで、付け入る隙を与えてしまった。本当は保守派として、歯を食いしばるべきであったのだ。終わってしまったことは、もうどうにもならないが。
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