日本を立て直すには、石原慎太郎に最後のご奉公をしてもらうしかない。橋下徹の肝煎りで開校した「維新政治塾」の講師を石原が務めることになった。戦後の若者の代表として、石原ほど注目を集めた作家はいない。昭和30年に『太陽の季節』で芥川賞を手にし、一躍時代の寵児になったからだけではない。日本という国家が解体し、アメリカの従属化に入った日本人の苛立ちを、ストレートに政治にぶつけたからだ。日本のサヨクの多くが、戦後民主主義を礼賛したのに対して、真っ向から挑戦状をたたきつけたのである。橋川文三は石原について「深い夢をはらんだ強い政治への憧憬」(『日本浪漫派批判序説』)と位置づけるとともに、政治に向かうパトスに関して、「かつて昭和10年前後の時代閉塞状況において、日本を民族主義的ロマンチシズムの破滅過程に導いた生理衝動」(同)と決め付けたのだった。病身であった橋川は、石原の健康な肉体に、死も恐れぬ行動力を見たのではなかったか。石原から江藤淳が、伊東静雄の「水中花」の詩の一節である「すべてのものは吾にむかひて死ねといふ、/わが水無月のなどかくはうつくしき」を連想したように。そうしたパトスを捨てることなく、石原は政治家として歩んできた。それは誰にも真似のできないことであり、橋下がみならうべきは、まさしくその一点なのである。平成維新を実現するには、それがあるかどうかなのだから。
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