装丁(そうてい)は神風の書よ宇氣比(うけひ)なる秘事(ひめごと)なれば指を切るべし
日本の政(まつり)ごとをば正さんと雄叫び上げる三島の徒なり
須左之男(すさのう)の己が心は声明(あかき)なり春の雪なり枝も幽(かす)かに
勲(いさむ)なる鞘(さや)落としける白刃(しらは)には昭和維新のひとひらの雪
赫奕(かくやく)と昇りし日輪今もなお平成の世に燦然(さんぜん)たりし
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装丁(そうてい)は神風の書よ宇氣比(うけひ)なる秘事(ひめごと)なれば指を切るべし
日本の政(まつり)ごとをば正さんと雄叫び上げる三島の徒なり
須左之男(すさのう)の己が心は声明(あかき)なり春の雪なり枝も幽(かす)かに
勲(いさむ)なる鞘(さや)落としける白刃(しらは)には昭和維新のひとひらの雪
赫奕(かくやく)と昇りし日輪今もなお平成の世に燦然(さんぜん)たりし
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亀井静香を孤立させてはならない。なぜか亀井を見ていると、哀れに思えてくるのは私だけだろうか。亀井と言えば、昭和47年のあさま山荘事件では、警視庁警備局公安第一課課長補佐として第一線に立っていた。群馬県や長野県の山中で連合赤軍のメンバーを一網打尽にできなかったことで、警察官が2名殉職したあさま山荘事件へと結びついたのである。亀井はその不甲斐なさからか、佐々淳行の『連合赤軍「あさま山荘事件」』によると、危険な場所にフラフラと突っ立っているのを、上司で警視庁警備幕僚長であった佐々に、たしなめられたという。自分の責任感から、ついついそうした行動になったのだろう。ここ2、3日の亀井の行動を見ていると、国のために、一命を捧げようとする思いが伝わってくる。民主党と連立政権を組んだことを、内心は恥じているのではなかろうか。石原慎太郎東京都知事を党首にした石原新党を立ち上げるのに必死になっているのも、これまでの汚名を挽回したいからだろう。これに対して、野田佳彦首相や岡田克也副首相らは、水面下で自民党との交渉を続けていると伝えられる。彼らにとっては、小沢一郎を悪者にすることで、自民党と組んで生き残りたいのである。そこにあるのは、単なる数合わせであり、派閥の原理でしかない。それでは戦後政治の総決算にはならない。亀井の決断を私は支持したい。今こそ保守民族派は、石原新党になだれこむべきなのである。
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