日本の政治家がかくも愚かになったのはなぜだろう。マキアヴッリは『君主論』(河島英昭訳)において、政治的指導者を評価する基準として、政治的力量のあるなしを問題にした。その観点からすれば、今の民主党政権の閣僚は、誰一人として及第点を取れないだろう。とくに野田佳彦首相には、根本的なものが欠けている。あらゆる面で日本が存続できるかどうかの、まさしく瀬戸際に立っているのに、民主党政権が続くことを至上命題としているのだから、情けないことこの上ない。祖国のことを第一に考えなければ、マキアヴッリが言う「気まぐれな運命の女神」に翻弄されるだけではないか。野田首相の政治的力量は赤点以下だ。原発事故で腰を抜かしたために、一時は脱原発を目指したと思ったらば、原油価格の高騰もあって、最近になって急速に原発再稼動に傾いている。マキアヴッリが好んで口にする「運命の風向きや事態の変化が命ずるままに、おのれの行動様式を転換させる心構え」が試されているのだ。それでいて野田首相には「善から離れることなく、しかも必要とあらば、断固として悪のなかへも入っていく」との覚悟がまったくない。政治家はときには悪魔とも手を結ぶことも許されるのに、ええかっこしいなのである。あくまでも政治は結果オーライで、的確な判断ができないと国民は迷惑するのだ。野党にマニフェスト違反を「ペテン師」と罵られると、色をなして反論するあたりは、あまりにも書生染みている。それよりも大事なのは、野田首相が国民のために何ができるかなのである。
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