草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

統治能力なき日本に神の火である原発動かす資格なし!

2012年04月10日 | 安全保障

 民主党政権が脱原発であるわけがない。二酸化炭素の大幅削減を国際公約したのも、その前提には原子力発電の推進があった。原発事故後の一時期、盛んに菅直人らが脱原発を口にしたのは、自分たちの犯罪を帳消しにしてもらうためには、それを言って回るしかなかったのだろう。しかし、事態は変わってきている。原油価格は上がり、電力の供給が切迫してきている。今度はそれが政権批判につながりかねない。とくに、ガソリンなどは、民主党が「政権交代をすれば値下げになります」と嘘を吐いて総選挙に勝ったわけだから、びびり始めたのである。ただ、その一方で、大飯原発再稼動で立場がなくなっているのは、民主党政権を支持してきたサヨクではなかろうか。経済産業相の枝野幸男の口車に乗せられて、再稼動はありえないと思っていたはずだから、恥ずかしくて言葉も出ないに違いない。それにしても、原発は危険な代物だと言っている菅直人は、民主党からどうして訣別しないのだろう。経産省前のテント村の諸君は、ここまでされても、民主党政権に期待するのだろうか。私は脱原発を主張しているが、それはイデオロギーの問題ではない。原子力発電所を動かす統治能力が日本にないから、手を引くしかないのだ。テロ攻撃に備えて、自衛隊を配備すべきであるのに、多くの日本人は無頓着である。イザというときに、戒厳令も布告できないような国家では、人間が神から盗んだ原子力の火を扱う資格などないのである。


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親心で避難した俵万智に過大な期待する共同通信を嗤う!

2012年04月10日 | マスコミ評

 俵万智の存在を知ったのは、朝日歌壇に「今日までに私が付いた嘘なんてどうでもいいよというような海」といった短歌が載っていた、そのときからであった。誰だったかが、売れっ子歌人の一人として、わざわざ論評していたのだった。「弱きものよ、汝の名は女なり」というセリフがある位だから、弱きものは嘘を吐く場合だってあるだろうし、それを認めるあたりは、正直者ではなかろうか、と勝手に私は感動した。男をきりきり舞いさせて喜ぶ、女の非情さを詠んだという解釈も可能だが、それは私の理解を超えるので、口をつむぐしかなかった。俵万智が福島第一原発の事故を受けて、仙台から沖縄に自主避難したのを聞き、やっぱり親だと思った。かけがえのないわが子のためには、それもありなのである。しかし、そんな俵万智に向かって、わけのわからないことを共同通信が要求している。北朝鮮のミサイルに備えて、自衛隊のパトリオットが配備された石垣島を、ぜひ詠んで欲しいというのだ。戦争許すまじの反戦の短歌でも期待しているのだろうか。ピンボケもいいところだ。世間から母親のエゴといわれるのを承知で、あえて行動を起こした女性をつかまえて、御高説を聞けるわけがないだろう。それよりも、これまで国民に吐いた嘘の数々を、「どうでもいいよ」と居直っているマスコミの一員として、共同通信の見解を聞いてみたいものである。

 
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ケインズに学び今こそ国が主導権をとって内需を拡大すべきだ!

2012年04月10日 | 経済

 今の日本の経済を考えると、私たちに求められているのは「ケインズへ帰れ」ということではなかろか。デフレ下にもかかわらず、健全財政にこだわったり、バラマキに終始する民主党政権では、国民は自殺するしかなくなってしまう。アダムスミスの「神の見えざる手」という自由放任主義が行き詰っていることを、どうして学者も、マスコミも、政治家も認めないのだろう。伊東光晴はケインズについて「第一次大戦以来ゆるぎだした資本主義経済とともに歩み、その変質のために処方箋を書き、しかもその処方箋が資本主義そのものの変化を可能にしたという意味で、ひとりの偉大な経済学者であった」(『ケインズー新しい経済学の誕生』)と解説している。そして、ケインズの理論を「国家は経済に干渉せず、税金のかからない安上がりの国家であるべきだという考えをうちたおして、公共投資や政府による景気振興策の重要性をといた。財政政策にしてもその学説の出現以来、国の予算はたえず収入と支出が一致しているべきだとする緊縮財政政策から、必要に応じて赤字にしたり黒字にしたりする伸縮財政に変わった」と要約している。民間に元気がないときには、国が主導権をとって内需を拡大すべきなのである。成長戦略といった漠然としたものではなく、東日本大震災からの復興や、今後首都圏で起きると予想される大震災への対応として、大規模な公共投資が必要とされるのであり、喫緊の課題は、政治がそれに向けて、大胆にハンドルを切れるかどうかなのである。

 
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