草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ネット言論を許容してこそ民主主義が育まれるのだ!

2012年04月20日 | マスコミ評

 ネット言論を目の仇にする勢力が、国家権力を使って、ブログなどを規制する動きが出てきた。民主党政権が誕生する直前から、ほとんどのマスコミは、自民党へのネガティブキャンペーンに加わった。これに対して、それと相反する動きをしたのがネットの世界であった。当時の麻生太郎首相を支持する書き込みが多かった。一つは、保守民族派といわれた人たちが、マスコミから相手にされなかったこともあるだろう。そちらへシフトせざるを得なかったのだ。もう一つは、声なき声が、あえて言わせてもらえば、、私のような日本土民が、イデオロギーの押し付けではない、あたりまえのことを主張し始めたのである。それだけに、政権交代を煽るだけ煽っていたマスコミとは、真っ向から対立した。山本七平が述べていた通りで、ともすれば日本人は、その場に空気に支配されやすい。そこに水を差して、国民に目を覚ましてもらいたかったのだ。ようやく、多くの日本人が正気に戻りつつある。しかし、その一方で民主党政権は追い詰められつつある。とくに、ネット言論には手を焼いており、現状を放置できないと考えているに違いない。当面は身内から反乱が起きるのを恐れて、民主党所属の国会議員に、ツイッターやブログを自粛させるのが精一杯だとはいえ、油断は禁物であり、警戒を怠ってはならない。自由闊達な議論が保障される社会でなければ、民主主義は育たないからだ。ネット言論を規制しようという動きは、その意味からも言語道断だ。

   
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島尾敏雄が愛した小高町を死の灰で汚した原発事故!

2012年04月20日 | 思想家

 作家島尾敏雄がこよなく愛した小高町は、現在は南相馬市の一部となっているが、福島第一原発の事故によって惨憺たる状況になっている。島尾は昭和61年にこの世を去っており、おぞましい光景を目撃しなかっただけ幸福かも知れないが、死の灰の土地となっても、少年の日の思いで深い父祖の地を、邪険にしなかったと思う。妻が病気になると、一緒に精神病院に入る優しさが、島尾にはあったからだ。その島尾が昭和51年に会津若松市の東山温泉を訪れている。会津在住の詩人で、会津若松市役所の職員であった川上春雄と意気投合し、2日間語りあったのだった。そのときの印象を川上は、平成15年11月発刊の『現代詩手帳臨増「吉本隆明」』に寄稿した「あまたの海鳥が海の上で」で書いている。その当時の島尾は、奄美の名瀬から鹿児島の指宿に転居して2年目であったが、そこもまた定住の地ではなかったようだ。川上は「かりに島尾さんには具体的な移住計画などはなく、実現の可能性は極めて少ないとしても、それだからこそかえって、ナイーブなかたちで、どうしても東北の相馬での生活を断念し得ないご様子である」と印象を記すとともに、「野馬追いの妙見神社の広場や、塚原、角部内の太平洋の眺望、あるいは枯葦の間を海にそそぐ小高川のせせらぎが、時として島尾さんの胸を優しく訪れるのではないか」と熱いものがこみあげたのである。そして、川上は相馬へと向かう列車を駅頭で見送って島尾と別れるまで、二人の話は尽きなかったという。

 
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