いやはや、今朝の関越自動車道での高速バスの大事故には、背筋がぞっとした。貧乏人の常として、私ほど高速バスを利用している人間はいないだろう。会津から京都に出かけるのにも、新潟から利用しているし、東京から萩までの長距離を乗ったこともある。会津から東京に行くのにも、ここ10年ほどは、新幹線とはご無沙汰である。ほとんど会津バスやJRバスであり、代々木駅近くのバス停などは、自分の家のようで、付近の喫茶店のウエイトレスとも顔見知りになって、ちょいちょい声をかけられる。その事故で解せないのは、運転手が一人しかいなかったことだ。それよりも距離的に短い会津バスであっても、交代要員がかならず乗車している。王子の前で首都高を降りると、運転手の助手をしたり、車掌のようなことをしている。値段を下げる競争が過酷なために、人を減らしていたとすれば、それは大問題である。会津でも磐越自動車道でおなじような事故が起きたことがある。ただ、あのときは居眠りではなかった。会津盆地に入るトンネルを抜けた途端に、川霧で視界が遮られ、ハンドル操作を誤まったのである。高速料金を無料にすると意気込んでいた民主党政権も、もうそれを口にしなくなった。そこで庶民は高速バス、長距離は夜行ということになるが、安全対策だけは、しっかりやってもらわなければ、私のような者が一番困ってしまうのである。
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