ナチスに対して、日本の正統な保守民族派がどのような態度をとったか。私たちはここで確認しておかなければならない。それは経済政策ではなく、あくまでもイデオロギーについてである。ナチスを批判したのに、葦津珍彦がいる。葦津は昭和15年11月の段階で「日本の神道とナチス精神」という一文を書いていた。その年の9月には日独伊軍事同盟が締結されており、その後に世に問われたという点では、注目に値する。三国同盟そのものは俎上に乗せないにしても、「日本精神とナチス思想が近い」との考えに対しては、真っ向から反論している。まず問題にしたのは、ヒットラーが「民族こそ主であり、国家とは民族の一機関にすぎぬ」と主張していた点だ。ゲルマン民族の能力を持ってすれば、南方に移住していれば、もっと華々しい文化が咲き誇ったであろうと。そこまでの傲慢さと日本民族は無縁である。大八洲を離れてはないのであり、国土への思いが異なっている。そして、ヒットラーの『我が闘争』の「自然の法則は、劣位の者を優位に引き上げんとする事にはなくて、優位なる者が絶対的勝利を占めることを求めている。強者が支配しなければならぬ。これを以って残酷と見るのは弱者のみである」(室伏訳)との独断は、日本人と相容れるわけがないし、東洋人なども軽蔑すべき対象であったのだ。安倍内閣を支持しているのは、日本の神道関係者も多い、その人たちがどうしてナチズムに与するだろう。日本人であれば、西郷隆盛の遺訓に共鳴するに違いない。葦津もそれを持ち出して、ナチスを批判したのである。「真に文明ならば未開の国に対しては慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべくに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蛮なりと云ふ可し」。
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