草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

8月15日未明までB29の空襲は行われ大編隊が会津を通過した!

2013年08月14日 | 歴史

 昭和20年8月14日から終戦の日の翌日未明にかけて、会津の空はB29の大編隊が通過した。体験者の多くは新潟空襲だと語っていたが、記録を調べてみると、それは秋田の土崎空襲であった。硫黄島を飛び立った129機のB29は猪苗代湖を目印にして飛来し、それから北を目指したのだろう。一晩中、大編隊が頭の上を通り過ぎたわけだから、多くの会津人の脳裏に刻みこまれたのだった。すでに日本は降伏の意思を表明していたにもかかわらず、我が物顔に振る舞い、わざと低空を飛んで見せた。防空壕に入ることもなく、茫然と空を見上げていたという。その空襲によって約400人の死傷者が出た。当時日本最大であった石油基地をターゲットにしたのだった。二度と日本が立ち上がれないように、破壊の限りをつくしたのである。大東亜戦争が過ちであったと主張する人たちは、アメリカによる原爆投下や差別爆撃をどう考えるのだろう。その上、終戦当日の未明まで及んだのが土崎空襲なのである。その夜は、会津の人たちも一睡もできなかったという。日本が悪かったから、どんな仕打ちをされても、耐えるしかないのだろうか。東京裁判史観は、アメリカの主張ばかりを取り上げ、勝者の敗者への見せしめの場と化してしまった。しかし、それは真実を伝えることにはならない。日本はやむにやまれぬ思いで大東亜戦争に突入したのである。欧米列強の植民地支配からアジアの国々が独立できたのも、日本の犠牲があったからだ。日本の先人を犯罪者扱いにするのではなく、歴史を正しく伝える責任が私たちにはあると思う。


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神道は固有日本人の精神的核であり一宗教にはあらず!

2013年08月14日 | 思想家

 昨日の朝日新聞の社説は、「政教分離」を持ち出しての靖国神社への嫌がらせであった。そこにあるのは、大東亜戦争の責任は「軍国主義と神道が密着したから」との決めつけである。しかし、それは神道というものを見誤っている。私は神道は普通の信仰とは違うと思っている。教義とかに関係なくして、日本人の血に溶け込んでいるからだ。葦津珍彦が『昭和史を生きてー神国の民の心』で「神道とは固有日本人の精神的核である」と書いているが、日本の敗戦によって、それが解体の危機に瀕したのである。占領軍が狙ったのは、日本の神道を一宗教団体に貶めることであった。そのために、神社本庁に教義の権威確立を求めてきた。しかし、葦津はそれに異を唱えたのである。占領軍の神道指令下でそれをやれば、当然のごとくマッカーサー教になってしまう。それに葦津に言わせれば「日本人の神道史を見ると、それは全く自然発生的に多種多彩な発展をして来たのが歴史の事実」であるからだ。その懐の深さこそが、神道の特徴でもある。それは世界宗教としての道を閉ざすことでもあるが、反面、日本人の宗教的情操を踏まえての議論であった。そして、葦津の「私にとって、神道は『理論的に論理的』に正しいから防衛するのではなくて、神道は、われなるが故に『論理的』に防衛せねがならないものなのだ。理論や論理があって、然る後に同感するのではない。理論や論理を越えて、守らねばならない我が欲求がある」との叫びは、日本人の多くが共感をするはずだ。それを一つの宗教として扱うことは、「日本人の精神的核」を否定することなのである。


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