草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ナチの手本となったのはレーニンの宣伝と扇動の技術だ!

2013年08月03日 | 思想家

 麻生副総理の今回の発言や、安倍総理の憲法改正の方針などを槍玉に挙げて、日本がファシズム国家になると本気で信じているとすれば、頓珍漢にもほどがある。今なお国防軍を持てず、交戦権もない国家が、どうしてファシズムになれるのだろう。それよりも、ソ連型の共産主義国家中共の存在にこそ、危機感を持つべきだろう。戦後民主主義に毒されたお花畑は、日本は攻められなければ、実感がわかないのだろう。永井陽之助の『現代と戦略』では、レーニンの残酷無慈悲なやり方が、ヒトラーのナチズムに受け継がれたことが書かれている。「レーニンは、クラウゼヴィッツの強調する戦争における精神的要素ー士気、精神力の重要性を学び、革命指導と大衆動員の技術として、宣伝と扇動がいかに有効であるかを経験によってたしかめた。いいかえれば、革命は、もはや下から、人民が自然発生的にやむなく起ちあがるものではなく、現実のなかに潜在的可能性としてある、さまざまな矛盾、利害の対立、不平不満を、作為的に宣伝と扇動によってかきたてる、事前の計画によるものとなった。また、革命の大義を大衆のわかる単純なスローガンのかたちで、教化、注入し、動員しなければならない。この準備、計画、作戦を練る参謀本部が、ボルシュヴィキ党である」。永井は「組織化された虚偽」といった政治的な武器の発明者を、レーニンその人に帰したのである。ボルシュヴィキの一番の戦略は、革命のためにはお人好しの平和主義者をたぶらかすことであった。それが「ナチズのシニシズムとなって、より悪魔的な様相を濃くしていった」のである。ナチズムの起源は、もともとはレーニン主義なのである。

 

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ナチスを反面教師にすることは大事なことだ!

2013年08月03日 | 政局

 共同通信が麻生副首相の発言を取り上げたことで、あっという間に世界中に「日本の右傾化」なる情報が広まった。朝日新聞はすぐには問題にせず、その報道を受けて批判を開始した。火付け役と名指しされるのを恐れたのだろう。これに当然のごとく飛び付いたのは、中共や韓国である。そして、いつもの通りニューヨークタイムスの出番である。麻生発言はワイマール憲法を高く評価しており、ナチスを正当化したわけではない。「喧噪のなかで憲法改正を行うべきである」と言いたかったのだろうが、そこにブラックユーモアを加味したことで、とんでもない騒ぎになってしまったのである。ナチス憲法が制定されたかのような誤解を与えたのは、「全権委任法」と勘違いしたのだろう。ナチス政権下でも、ワイマール憲法は存続していたのである。ナチスに関して論じることは、過去の歴史に学ぶことであり、それを避けて通るべきではないだろう。私たちは反面教師とすべきなのである。私が許せないと思うのは、ことさら騒ぎ立てたマスコミである。国益という観点がないのだろうか。もちろん、安倍内閣の有力閣僚が、軽率なことを口にすべきではないが、今度の場合はあまりにも歪曲している。そうでなくても安倍内閣については、誤った情報が飛び交っている。それを増幅することになったのは否めない。これでほくそ笑んでいるのが中共や韓国だろう。日本が国家として身構えることができなければ、自分たちの思いのままである。安倍首相が目指している戦後レジームからの脱却は、あくまでも茨の道なのである。しかし、ここで引き返せば元の木阿弥であり、眦を決して先に進むしかないのである。

 

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