草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

原発事故との戦いのため第二第三の「決死隊」を繰り出すべきだ!

2013年08月12日 | 災害

 福島第一原発の事故との戦いは、かつて人類が経験したことがない未踏の世界である。いかに批判にさらされようが、必死に頑張っているのは、東京電力の社員であり、その関係者である。私はその労苦を讃えたいと思う。そこに踏みとどまっているからこそ、福島県から逃げ出さないで暮らしていられるのだ。しかし、徐々に限界に近付いてきているのではないだろうか。安倍首相は、民主党政権と同じような対応をすべきではない。事故を小さく見せてはいけない。真実を伝えることを怠ってはならないのだ。国が本腰を入れることを明らかにしていても、なかなか進まないのは、現実が苛酷であるからだろう。今日もまた衝撃的なニュースが流れた。熱中症対策のために、免震重要棟前で水を霧状に散布していたところ、そこに放射性物質が混じり、10人が汚染したのだった。日々戦いは続いているのである。現役を退いた原発の技術者たちが決死隊を編成し、今も頑張っている。そこに協力する意味で、元自衛官や元警察官の力を借りるべきだろう。人体への影響をを最小限にとどめるには、若い人には任せられないからだ。そうした戦いに参加することなく、口先で反原発を唱え、立ち向かおうとしないのがサヨクなのである。そして、決まって電力会社のパッシングである。危機的状況を乗り切るためには、あらゆる力を結集しなくてはならない。当面は人手の確保であり、第二第三の決死隊を繰り出すしかない。国もそれに積極的に関与し、人集めをすべきだろう。このままでは、現場は人手不足で大変なことになってしまう。


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「天の神のみこともち」をするのが折口信夫の天皇観だ!

2013年08月12日 | 思想家

 なぜ日本人は大東亜戦争において、「天皇陛下万歳」を叫んで死ぬことができたのだろうか。折口は「古代人の信仰」において「惟神思召(カムナガラオモホシメ)」の言葉に言及している。「天皇が非常に重大な事を仰せられる際には、現身神(此世に坐します神)としての御資格より更に高い、即、高天原の神と御同格になり、朕が考へは神として考へてゐるのであるといふ様に宣はせられる、惟神思召すー随神所思行すーの語は、実に朕の言ふところ神の考へであるとの御謂である」。それは同時に「天皇は、天の神のみこともち、即、神の代理者であらせられる。其みことが非常に神聖であるから、天上の神と同一の意力が感じられて来る。此状態が惟神なのである。天皇のなされる事は神の活動なのである。日本に於ける天皇神格といふものは譬喩ではなく、信仰上の事実である。だから天皇の仰せは非常に重大である、其仰せ其ままが天の神の御言葉であるのだ」(「古代生活における惟神の眞意義」)というのだ。多くの日本人が死ねたのは、過去から連綿と続いてきた天皇への忠誠心があったからだろう。万葉の歌人である大伴家持も、遠つ祖の大久米主以来の誓詞である「海行かばみづく屍。山行かば草むす屍。大君のへにこそ死なめ。顧みはせじ」を書いたのだった。日本人にとっては、天皇はかけがえのない存在であり、三島由紀夫が力説したごとく、「天皇が国体」なのであり、それを死守することが私たちの使命なのである。折口の神道論は、それを理解する上で大きな示唆を与えてくれる。


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