草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

ナチズムには侮りがたい力があるのを忘れるべきではない!

2013年08月04日 | 思想家

 ナチズムやファシズムと同一視して自民党を攻撃するのは、マスコミが真にそれを理解していないからだ。そんな単純な問題ではないのである。エルンスト・ブロッホの『この時代の遺産』(池田浩士訳)を読めば、ナチズムやファシズムが一筋縄ではいかないのを知るはずだ。私はブロッポを論評するだけの能力を持ち合わせてはいないが、訳者である池田の解説文「遺産・空洞・占拠」が全てを言いつくしている気がしてならない。「ナチズムやファシズム一般を『反動』として、前近代が近代につきつけた挑戦としてとらえるような歴史観は、いまではもはや説得力を失っている。近代の矛盾を前近代の援用によって突破しようとするもの、というようなとらえかたも、やはり同様である。ナチズムやファシズムは、いまでは、その新しさにたいする着目を当然のこととして要求している。とはいえ、ファシズムのこの新しさとは、たとえばそれに先立つ時代の芸術・文化領域の前衛たちを包摂したとか、最先端の科学技術を利用したとかいうことに尽きるものではない。後期資本主義の合理化が現実のあらゆる局面に行きわたるなかで、抑圧され忘却を強要される古い要素を、ナチズムとファシズムは未来に向かう夢として、動員し組織した」。ソ連崩壊が象徴するように、社会主義国家の実験は失敗に帰した。それらに対抗して「抑圧され忘却を強要される古い要素」を救出しようとするのは、並大抵のことではないのである。マルクス主義が無効を宣言された今となっては、一から出直すしかない。日本のマスコミのような単なるレッテル貼りは、本質を見抜くことではなく、かえって混乱をもたらすだけだ。ナチズムやファシズムが到来するとすれば、政治家の発言よりも、私たちの生活レベルでの変化が引き金となるのであり、もっと根深い力が働くのである。

 

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戦後レジームからの脱却のためには会津に学ぶべきだ!

2013年08月04日 | 思想家

 今のように国が危機に瀕しているときは、自分が会津人であることを再確認し、そこから反撃を試みようというのが私の立場である。会津出身の作家である簗取三義は『会津鶴ヶ城』のなかで「会津人気質」を論じていたが、それは今の時代も変わらない。「俗に仲間ぼめ、身びいき自慢話を得意としない共通点をもっているのは」否定できないからだ。何ごとも他人を先にして、自分を後にするのである。「主張しなくても価値があればいつか光る、天道様はお見通しだ」との考えがあって、自らを粉飾することを恥としたのである。それを後進性といえばそうだろうが、簗取りは会津の出番がくることを予想していた。「大都会の喧騒から一度会津の地に足を踏み入れると、まだまだ会津はのんびりしている。めまぐるしい社会の移り変わりに同化していない会津のスローモーがかえって希少価値を生み、朝敵会津が、勢津子姫とい秩父宮とのご成婚によって一転皇室と縁戚となったけれども、その後もつづく不変の会津人気質もまた賞揚されるときが来るかも知れない」。会津以外の人たちが会津を知る上で欠かせない一書として、私は『会津鶴ヶ城』を勧めている。一つは会津人によって著わされたからであるが、それ以上に、会津人としての思いがひしひしと伝わってくるからだ。我が国が戦後レジームを打破するのは、並大抵のことではない。かつての会津が味わったような仕打ちを受けており、祖国防衛戦争であった大東亜戦争は侵略とされ、現在もなお断罪をされ続けている。その汚名を晴らすためには、長い年月がかかるのであり、死に物狂いで臨む以外にないのであり、不屈の会津精神に学ぶべきなのである。

 

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