草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

原発事故をめぐる地検の事情聴取に菅元首相は応じるべきだ!

2013年08月13日 | 災害

 私は福島県民の一人として、この日が来るのを今か今かと待っていた。福島第一原発の事故において、菅直人元首相を始めとする民主党政権は、本当に最善を尽くしたのかどうか。それを司法の場で判断してもらいたかったからだ。読売新聞によれば、東京地検が昨日、菅元首相に任意で事情聴取を要請したことは、三権分立の観点からも当然のことだ。その要請に菅元首相が応じないことは、国民無視もはなはだしい。自分が正しいと思えば、出て行って弁明をすればいいのである。それを拒否するのは、やましいことがあるからだろう。拒否する理由としては「政府の首脳として応じれば、今後の危機対応に悪影響を及ぼす恐れがあるためだ」と弁明している。国民と福島県民を愚弄するにもほどがある。それではまるで、小沢一郎と大差がないではないか。私たち福島県民は、菅元首相、枝野幸男元官房長官、現在の民主党代表の海江田万里元経済産業相の責任を追及すべきだと思っている。事故発生を想定した対策を講じることなく、事故を小さく見せようとしたことが、刑法の犯罪にあたるかどうか、白黒を付けるべきなのである。そして、東日本大震災の2011年3月11日の翌日に、福島第一原発を菅元首相が視察したことが事故拡大に結び付いたかどうかも、ハッキリさせるべきだろう。さらにスピーディの件でも、隠蔽した可能性が取り沙汰されている。それに関しても、法廷の場で明らかにすべきだろう。原発事故は現在も進行中である。戦いは今も続いているのだ。議事録を作成しないばかりか、今度は任意の事情聴取にも応じない。そんな人間が首相だったときに、最悪の事態が起きてしまったのである。


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日本分断を策し反日に徹するNHKを嗤う!

2013年08月13日 | マスコミ評

 国民から受信料をとっているNHKが、トクアノミクスの旗振りをしているのは、言語道断だ。オスプレイの沖縄配備を大きく報道し、米軍への反対運動を煽ったり、「日本からは善意よりも敵意を感じる」との中共側の発言をそのまま伝えたりで、理解に苦しむ。不信感を抱くのは私だけでないだろう。安倍政権がどうするかよりは、国民的レベルで反NHKの動きを強めるしかない。さらに、会津人として言わせてもらえれば、明治維新が成就するにあたっては、最終的には藩を超えた結束が生まれたのであり、それが日清戦争、日露戦争の勝利に結びついたのである。しかし、日本分断を策している反日NHKは、「八重の桜」で会津と薩長との対立をことさら煽り、そこだけを強調している。とくに理解に苦しむのは、八重に方言を使わせている点だ。会津藩の武士の大半は高遠衆と呼ばれ、信州からやってきた。また、歴代藩主は親藩として江戸屋敷を持っていた。上屋敷は和田蔵門近く、中屋敷は芝新銭座、下屋敷は三田にあり、それぞれ9000坪、29000坪、32000坪もあった。田舎者と決めつけるのは間違っている。山本覚馬を八重は「兄上」と呼んでいたはずで、野卑な言葉を使うわけがない。会津を第二の沖縄にしようとしたのだろうが、方言一つをとっても、会津の関係者からNHKに批判が殺到している。目論見はあっけなく潰えたのである。そして、自分たちは高給をもらっているくせに、番組に協力した人間には、弁当も出さない。とんでもない連中だ。NHK解体の声が高まるのは当然なのである。


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三島由紀夫の「天皇国体論」を擁護していた大石義雄!

2013年08月13日 | 思想家

 安倍首相は昨日、地元の山口県長門市での会合で、改めて憲法改正に向けた決意を語った。戦後体制から脱却するためにも、勇気をもって取り組むべきだろう。そこで忘れてはならないのは、三島由紀夫が述べていた「天皇が国体である」という意味だ。大日本帝国憲法の第一条では「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之統治ス」となっていた。そうした思想は近代国家になる以前からのことであり、大石義雄は「わが国は万世一系の天皇が統治される国であるということは肇国以来二千数百年来のわが民族確信として通用していたのである」(『増補憲法概論』)と書くとともに、穂積八束の言葉をわざわざ引用したのだった。「抑々我ガ立憲ノ第一着歩ハ維新ノ大業其ノ者ニ在リ。維新史ヲ読ムニ非レバ我憲法ハ之ヲ解スベカラザルナリ。維新トハ何ゾ、国体ノ自覚ナリ。千古ノ国体ハ万古動カズ、明治ノ大業ヲ以テスルモ之ニ加除スル所ナシ。維新ハ政体ノ維新ナリ、唯我固有ノ国体ノ自覚ニ基ヅキ其ノ名実ヲ正サントスルノ政体ノ維新ナルノミ。明治維新ノ由リテ来ル所ハ国体論ニ在リ」。憲法が制定されなくても、そうした天皇への思いが日本国民にはあって、明治維新を成し遂げたのはその力だというのだ。上杉説ついての大石の解説も明快である。「国体の存続の基礎は結局はその時代その国家の国民的信念である。しかし、その国民的信念はその国の歴史的伝統から生ずるものであるから、この事実としての歴史的伝統に根拠しない国体は、たとい形式はいかに整備しようとしても、到底国家たる基礎たり得るものえないことは明らかである」。いうまでもなく、三島さんの「天皇が国体である」という「天皇国体論」は、そのことを指しているのである。


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