今日午前7時頃、あの藤圭子が自殺した。私より一歳上であった。たまたまかかり付けの医院のテレビでそれを知った。新宿区のマンションから飛び降りたとみられているが、若い頃の写真が目に浮かんでならない。平岡正明は『歌入り水滸伝』で藤圭子を絶賛した。「俺の耳には、彼女のほとんど神秘的なまでの登場時の吸引力の秘密は、じつは彼女の声の艶っぽさであったのだ」「彼女の声は、自然で、けっして倒錯されることのない、新鮮なエロシチズムに充ちていたのである。博多人形のような美少女がしぼりだすアルト、これはかならず日本人の耳には新鮮なものにうつる」。平岡は「黄鐘調」として「女声の低音域」に惚れこんだのである。平岡も藤圭子の出自に触れなかったわけではない。北海道に生まれ、流しの浪曲師だった父と兄とともに、幼い頃から各地を渡り歩いた。きしゃな身体を黒いビロードの服に包み、白いギターを抱えて盲目の母の手を引きながら。しかし、それより平岡は「黄鐘調」にこだわったのである。もうこの世にお藤圭子は存在しない。今はただ「夢は夜ひらく」の歌を聴くことで、もう一度「黄鐘調」を味わうべきだろう。「15、16、17と/私の人生/暗かった/過去はどんなに暗くとも/夢はよる/ひらく」(作詞石坂まさを)。70年安保騒動のときには、多くの若者の愛唱歌であった。日本は国家たりえず、アメリカの占領下から抜け出すすべはなかった。アナーキーな攘夷によってアメリカに譲歩させるのが、唯一の選択肢であった。かなしい天才女性歌手の死は、その当時を思い出さずにはおかない。夢は白昼ひらくべきなのである。
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