昨日、山本太郎が日本共産党創立91周年記念集会を傍聴した。それを聞いてビックリしたのは、私だけだろうか。中核派の応援もあって参議院議員になった山本が、どうして顔を出したのだろう。中核派は反帝、反スタを旗印にしている。間違っても代々木官僚に牛耳られた日本共産党とは、絶対に組むことがなかった。サヨクであれば全て味方だと勘違いして、パフォーマンスをやらかしたのだろうか。革命的左翼と評される新左翼が日本に登場したのは、50年代後半であった。ソ連共産党第20回大会によるスターリン批判、ハンガリア革命へのソ連の武力鎮圧を受けて、黒田寛一らを中心とした研究会が持たれ、57年10月1日にはその理論季刊誌の「探求」が世に出た。それから第四インターナショナルとの決別があり、革命的共産主義者同盟の創設となり、その後に中核と革マルに分裂した。日共と反日共と呼ばれたように、日共とは最初から敵対関係にあった。七〇年安保騒動を経験している世代からすれば、いくら何でも中核派が山本を容認したとは考えにくい。彼らは反帝と反スタを同列視していたはずであり、その点では革マルとも相違はなかったはずだ。両派が血を血で洗う内ゲバに突入したのは、戦術面をめぐっての違いがあったからだ。それでも内ゲバの相手であり、単ゲバの日共とは異なるのである。もしかして、中核派の内部で何か新たな動きが起きているのだろうか。
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