草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中韓と反日マスコミが安倍首相の式辞を槍玉に!

2013年08月16日 | 政局

 どうして日本のマスコミは自分たちの国を貶すのだろう。めぐりめぐってそれが日本人に禍をもたらすのに。日本人の誰一人として信じていないことが、反日のマスコミの手にかかると大事件になる。麻生太郎副総理をファシストと同格に扱ったり、安倍晋三首相を極右政治家のレッテルを貼ったのも、日本の名だたるマスコミなのである。今度は昨日の全国戦没者追悼式での安倍首相の式辞である。早速、韓国や中共がこきおろしている。いつもの通りの謝罪がなかった、とか騒いでいる。きちんと文面を読まないからだろう。安倍首相は戦没者に対して語りかけているのであり、「御霊を悼んで平安を祈り、感謝をささげるに、言葉は無力なれば、今は来し方を思い、しばし瞑目し、静かに頭を垂れたいと思います」と述べた。そして、大東亜戦争の教訓を踏まえて「戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすら平和の道をまい進してまいりました」「今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました」と戦後史を回顧した。一体どこが不満なのだろう。中共や韓国の嫌がらせには、日本のマスコミも毅然とした対応をすべきだ。それどころか朝日新聞などは、そのお先棒を担いでいる。「加害責任」とか「不戦の誓い」とかを持ち出して、安倍首相にいちゃもんを付けている。朝日新聞までもが加勢してくれるわけだから、強気になって当然である。そして、日本を悪者に仕立て、自分たちの行動を正当化するのだ。日本を駄目にするのは、いつの時代も愚かな日本のマスコミなのである。

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平和惚けした親の世代より国柄にこだわる若い世代に期待!

2013年08月16日 | 思想家

 戦争を知らないどころか、その親も体験していないわけだから、それを持ち出されても困ってしまうのが、今の若い人ではないだろうか。それでも、現実の国際関係は、マスコミが伝えるようなお花畑ではなく、切迫していることを肌身で感じているはずだ。昭和45年当時であれば、ソ連の北海道侵攻が取り沙汰されてはいたが、実感が伴ってはいなかった。いかに自衛隊の第七師団が機甲化部隊であり、最新式の整備を誇っていたとしても、軍事衝突はまずは考えられなかった。しかし、今起きている事態はより深刻だ。中共が虎視眈々として尖閣諸島を狙っており、あろうことか沖縄までも、自分たちの領土だと言い張っている。東西冷戦の崩壊によって、世界は平和になったのではなく、新たな緊張が生まれたのである。若い人たちが国家として身構えることを主張するのは、間違ってはいない。戦争を起こさないためにも、相手から攻められないように実力を誇示する。それは許されることなのである。毎日新聞の井上卓弥という記者が「今、戦争を知らない世代が想像を膨らませ、勇ましい議論を振りかざしている」と書いているが、何を言いたいのだろう。戦争を体験した世代は、アメリカによる苛酷な占領政策をくぐり抜けてきた。「負けてたまるか」との根性が培われたのだった。団塊の世代に代表されるように、その次の世代は平和惚けをして、サヨクイデオロギーの虜になった。ようやく孫の世代になって、日本を取り戻す気運が盛り上がりつつあるのだ。国をこれからつくっていくのは若い人たちである。勇気をもって日本を再建してもらわなくては。

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会津に帰る高速バスのなかで渡辺京二の『北一輝』を読破!

2013年08月16日 | 思想家

 折口信夫は薄暗い公衆電話のボックスのなかで、柳田国男の『遠野物語』を読んだといわれる。昨日、東京からもどるのに高速バスを利用したが、会津に着くまでに渡辺京二の『北一輝』を読破した。一度は目を通していたはずだが、ちくま学芸文庫になっていたので、時間つぶしに買い求めたのである。しかし、裏切られた思いがした。図式化された考えにもとづいて論評されているだけで、あの当時の政治状況と鋭く斬り結んだ北一輝の像が描かれていなかったからだ。「彼はいかにもへーゲリアンらしく、維新革命を、次第に本質が顕現してくる革命というふうにとらえている」「西郷(隆盛)に端を発する日本コミューン主義は、明治30年代には、北一輝と宮崎滔天というふたりの異端的な左翼によって保持されていた」「北は『改造法案』において、革命が天皇発意と指揮のもとに行われることを明記した。だがこれは偽装的表現である」。これらの文章の断片に、渡辺の北一輝への思いが込められている。誰が北をどう論じようと自由ではあるが、なぜ青年将校に影響を及ぼしたかについては、情勢論程度しか書かれていない。サヨクの側から北を見ると、比較する対象がマルクスしかないからだろう。北が思想家として偉大であったのは、日本の「基層民」が求めていたコミューンを提示したからでもないし、ヘーゲルの小難しい弁証法を駆使したからでもない。『改造法案』に代表されるように、革命への道筋を示した、日本で唯一の思想家であったからだ。北一輝を理解するというのは、そこに目を向けることなのである。

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