マスコミの一部は今なお民主党擁護をやっており、厳しく批判されるべきだろう。しかも、面白いことに、その手口が巧妙である。1号機への海水注水中断をめぐって、官邸の関与を問題にしたのがTBSで、逆に菅首相をかばったのが、フジテレビであるのは意味深だ。福島第一原発は現在進行中であるので、責任追及は後回しにすべきだというのが、フジのテレビの論調である。ローカルの系列局である福島テレビで放送した大熊町民の声を全国に流したりで、論点をずらそうと必死だ。それから、NHKも福島県のローカル枠で、放射線に危険はないかのようなデータを、どこかの学者に語らせていた。嗤ってしまったのは、喫煙者や、1日3合の酒を飲む人の癌発生率と比較したりして、冷静に対応することを呼びかけていたことだ。これに対して、国民サイドに立って、事故の究明しようとしているのがTBSなのである。また、福島県の親たちが今日、子供が校庭を利用できる放射線量の基準について、年間20ミリーベルトを撤回するように、文部科学省に要望書を提出した。このことに関してだけは、マスコミ各社とも、いつになく大きく取り上げていたが、民主党政権はマスコミによって誕生した経過があるだけに、マスコミの一角が崩れると、それで一巻の終わりなのである。
国民に本当のことを伝えないは、ウソはつくはでは、信用がガタ落ちになるのは、しかたがないことだ。誰のせいで、福島第一原発への海水の注入が中断したのかをめぐって、民主党政権は、またまたウソをつきまくっている。菅直人首相が自ら横槍を入れたことを隠蔽するために、コロコロと発言を訂正している。細野豪志首相補佐官の目をキョロキョロさせた態度から一目瞭然なように、完全に自分たちに分が悪いのである。しかし、今回の原発事故対応の不手際は、このことだけではないだろう。今後、続々と発覚してくるはずだ。かつて村松剛は、フランスの詩人のヴァレリイの「人間はうしろ向きに、未来にはいって行く」との言葉を引用しながら「人間は未来を想像するために素材を、既知の過去に求めるほかはないのである」(『歴史に学ぶ』)と書いた。菅首相は日本の歴史を紐解いたことがないし、身を捨てて国難にあたった先人から学んでいないのだろう。已むに已まざることであったとはいえ、日露戦争の旅順攻略で、夥しい部下を死なせた乃木希典は、後日、自ら命を絶った。古来、日本人をそれを美徳としてきたのだ。自己弁護に終始し、卑怯な振る舞いしかしない民主党政権を、日本国民は断じて許すわけはないのである。
国民目線と大口を叩いた奴らは
原発事故で右往左往し
ただただ逃げ回っている
浜から福島市に続く幹線道路は
死の灰を浴びて沈黙し
高濃度汚染地帯が広がった
放牧された牛が平和にくつろいでいた
子供が小川のせせらぎに手を浸していた
古里フクシマを返せ
田んぼに這いつくばれなくなった
古里フクシマを返せ
爆発前に風向きも教えず
大丈夫を連発した奴ら
原発への海水注入を止めた奴ら
情報を隠しのうのうと官邸につめていた
奴らの犯罪をどうして許せようか
←会津っぽに応援のクリックをお願いします
民主党政権のウソには付き合いきれない。詭弁を弄して自己保身に走る連中を、国民は断じて許さないだろう。福島第一原発1号機への海水注入中断は、一体誰が指示したのかが焦点になっている。3月11日の東日本大震災発生の翌日で、非常事態であっただけに、首相である菅直人のその人であったことは、いくら否定しても無駄ではなかろうか。100歩譲って菅が知らなかったとすれば、これまた天に唾をするようなもので、責任は免れない。原発事故を引き起こしたのが、民主党政権の誤まった判断にあったとすれば、国民は激怒してあたりまえだが、それを恐れるあまり、事実を隠蔽しようとするのは、あまりにも姑息である。こんなことばかりしていると、国民の不満は高まって、テロを醸成することになるだろう。そして、悲劇を招き寄せることになり、万一誰かが犠牲になろうとも、同情どころか、国民は拍手喝采するだろう。政治の信用をそこまで失墜させた、民主党政権は万死に値する。ようやくマスコミも政権批判を強めつつある。そして、いくら温厚な国民でも、そこまでされれば、堪忍袋の緒が切れて当然だ。とくに、放射能汚染地帯に放置されている者たちは、菅首相らの茶番劇に腸が煮えくり返っているのである。
原発をめぐっては、何ら改善されていないような気がする。日本という国家は、今なお危機を脱していないのである。放射能物質に汚染された福島県で、目下危惧されているのは、内部被曝の問題である。とくに、子供たちのことが心配でならない。外部被曝の放射線量を計測することは簡単にできるが、内部被曝については、放置されているからだ。そこで気になるのは、学校給食である。前々から地産地消ということがあって、県内の野菜や牛乳を使っていたはずだが、一体、現状はどうなっているのだろう。暫定基準値をオーバーしているものを、間違っても食べさせるべきではないし、できるだけ、絶対安全だと太鼓判をおされた食材のみを使うべきだろう。風評被害を心配するあまり、将来に禍根を残すようなことがあってはならない。農産物を市場に出すために、3回の検査で基準値を下回ればということで、わざわざ洗ったり、それをクリアすることを自己目的化するのは、本末転倒である。会津地方でも、年間に浴びる放射線量が2ミリシーベルトを超える可能性が出てきた。どれだけ内部被曝を減らせるかが課題になっているのだ。武谷三男は「放射能被害は他の害に比べて、全く新しい型のものであり、直接感覚的なものではないので検出も専門家を要し、その影響があらわれたときは取り返しがつかないのです」(『科学入門』)と書いているが、その言葉を今こそ噛みしめるべきだろう。
自分たちの非を認めず、少しでも攻撃されると必死になって反撃する。それはまさしく、鉄パイプで暴力的に学内を支配した極左の特徴である。菅直人首相、枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相、仙石由人副官房長官らは、いずれも活動家であったわけで、他人の批判を許容する度量は持ち合わせていない。そして、権力を手にすると、それこそ横暴な振る舞いに及ぶのだ。70年安保騒動の後、内ゲバが血みどろのものになったのも、それこそカール・シュミット流の「敵は殺せ」の論理が働いていたからだ。とくに、酷かったのは、今も枝野が懇意にしている革マル派である。機関紙の「解放」において、中核派をウジ虫、黒ヘルをゴキブリなどと、徹底して罵倒したのである。何が何でも権力を手放したくないという民主党政権を担っているのは、そうしたことをやってきた連中の残党なのである。学園紛争が収束し、行き場を失った彼らは、弁護士になったり、市民運動家になったりして、それから政治家になったのだ。しかも、極左のなかでも、連合などへのもぐりこみ戦術をとった、革マル派やフロントの残党が中心であり、かなり巧妙である。政権交代という言葉に騙されて、国民はとんでもない連中を権力の中枢に据えてしまったのである。
民主党政権のデタラメさを国民に知らせるのが、今もっとも大事なことである。TBSが東北大震災の翌日、3月12日の大変なときに、1号機への海水注入を官邸が邪魔したというニュースを流したことは、大きなエポックになるはずだ。ようやく報道統制のタガが緩んできたのだろう。TBSが報道したように、メルトダウン寸前の最悪の事態にもかかわらず、海水注入を中断させたとすれば、ある種の犯罪ではなかろうか。その日の朝、福島第一原発を菅直人首相が訪問したことと合わせて、今後、徹底した真相究明が求められるだろう。さらに、2号機が3月15日に爆発した件についても、菅首相の責任があるのではないか。テレビで異常事態が告げられているのに、菅首相は内幸町の東電に乗り込んで、当り散らしていたからだ。そのときに漏れた放射能物質が福島第一原発の北西部に風で流され、飯舘村、川俣町、さらには福島市に死の灰をもたらすことになったという。最高責任者としてすべきは、風向きを考えての住民の退避であったのに、それもせずに騒いでいたのである。官邸サイドが原発事故の節目節目で、横槍を入れていたとすれば、人災どころか菅災ではなかろうか。東電が海水注入をためらっていたかのように言っていた民主党政権のウソが、また一つ露見したわけだから。
菅直人首相は政治指導者として失格だ。3月12日朝、福島第一原発を視察する前に、首相官邸でスピーディの予測図を見て、それから出かけたのだという。わが身のことだけを最優先したのだろう。その日の午前3時から6時までの時間は、ベントした場合に、海に放射性物質が流れることを確認したのだった。それこそ真っ先に、原発周辺の住民に対して情報を提供すべきだったのに、それをしなかったのである。さらに、信じがたいのは、福島県の対応である。1号機が爆発した翌日翌3月13日からスピーディーの試算図を受け取っていながら、それを県民に公表しなかったからだ。それを知っていれば、被曝が軽微なものになったことは明らかだ。昨日の福島県議会では、そのことも問題になったようだが、そこにも、国の意向が働いていたのではなかろうか。政治指導者というのは、わが身を後にして、国家国民のことを考えるのがあたりまえだ。吉田松陰は子供の頃、叔父の玉木文之進に教育されたが、顔が痒くて手で掻いただけで、半殺しの目に遭った。自分のことを先にすることは許せないと、玉木が折檻したのである。だからこそ、無欲の思想家吉田松陰が誕生し、維新回天のリーダーになったのである。それと比べると、菅首相は嘆かわしい限りだ。
中共の温家宝が21日から22日までの訪日中に、被災地である福島に顔を出すことになった。今の時期に中共の首脳が足を踏み入れるというのは、福島にとっては迷惑な話だ。警備だって、とんでもない規模になるはずだし、そこまで余裕があるのなら、警察に瓦礫を撤去してもらった方がいい。深読みをすれば、菅直人が訪米を断られ、オバマに素っ気なくされたので、その腹いせもあるのではないか。菅のやることは、そんなものなのである。同盟国の大統領であるオバマですら、東日本震災の被災地を訪問していないのに、尖閣列島の領土問題で、激しくやりあっている相手の温家宝を招くというのは、外交センスがどうかしている。そうでなくても、、日本に嫌がらせばかりしているのが、中共なのである。自衛隊の大半が東日本大震災に動員されている隙を突いて、軍用機で護衛艦を挑発してみたり、やりたい放題だ。政治的な駆け引きもはたけている。現在はほとんどが民主党に鞍替えしているが、かつては自民党の田中派に接近し、田中角栄のことは、日中友好の井戸を最初に掘った人とまで称えた。中共に思い通りに操られて、朝貢しかねない民主党政権は、日本をどこまで解体すれば気がすむのだろう。
←会津っぽに応援のクリックをお願いします
どうせ3人に1人は癌で死ぬわけだから、その確率がいくらか高くなっても、そんなことはたいしたことがない。それを公然と口にする科学者もいるので、ここは理論武装しなくてはと思って、色々と本を漁ってみた。そこで参考になったのは、武谷三男編の『死の灰』(岩波新書)であった。昭和29年3月1日にビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で、第5福竜丸が死の灰を浴びたので、当時の第一線の科学者が、様々な立場から死の灰について論じたのだった。当初は命には別状ないとか、安静にしていれば2ヶ月で治るといった診断が下された。ところがそれは誤診であったことが、すぐに判明した。東大病院に入院していた乗組員の白血球が減少し、これは大変だということになった。とくに、大阪市立医大助教授であった西脇安博士は、その本のために執筆した「放射能はどのように危険かー放射線生物物理学的立場からー」というなかで、「放射線の遺伝学的な影響に関する限りどの程度まで絶対に安全であるという下の限界がまだはっきりわかっていないこと、言い換えれば可成り微弱な放射線といえども、遺伝的な変化が起こらないとは現在のところ言い切れないこと等のために、放射線障害のなかでももっともやっかいなものです」と書いている。国が年間1ミリシーベルト以内というのにこだわってきたのは、そうした理由があるからだ。そのときから今まで、日本の放射線医学は、少しも進歩していないのであり、それだけに警戒を怠ることはできないのである。
ブログ「草莽隊日記」の執筆者、峰たけしの『先人に学ぶ憂国の言葉』 (長崎書店・神田神保町1-18-1) が全国の書店で発売中。