年号は1864年、私の高祖父、*乙松は2歳で、その父、*利右衛門は40歳下野国川西村にもう存在している
私の父を育てた怖い祖祖父、*徳五郎も下野国馬頭村で3年後に生まれる。(*は姓、どちらも一文字姓)
だいぶ近い時代になったものだ、いよいよここから激しく時代が動き、明治維新に突っ走っていく
それは、勝者と敗者、敵と味方がめまぐるしく入れ替わっていく、「信じられない時代」となる
池田屋騒動が起こった翌月、季節は夏、所は京都御所
一度は都落ちした長州藩であったが、この時代もっとも勢いがある藩だけに再び兵2000を集めて京に戻った
しかも戦闘態勢を整えて
京都御所に突入して、(幕府に押し込められている=長州の言い分)天皇をお救いして、幕府討伐の勅命
(天皇からの直接の命令)を拝し、諸大名を集め先頭に立って江戸攻めを決行しようという考えだ。
御所を守る幕府軍は主力会津藩の他にも松平容保の弟の桑名藩、大藩の越前藩、薩摩藩など数万
と新撰組も加わっている、だが御所は広いので各藩が分担して守って居るから一点集中の攻撃をもくろむ長州
、それでも一点だと幕府軍も一点に集まって叶わないので、2カ所の陽動作戦も行った
主力は会津藩の蛤御門に向かった、ここでは長州軍が新型兵器もあって有利に戦った、会津藩が崩れそうに
なった時、西郷隆盛が率いる薩摩兵100数十が左右横手から切り込んだ、この不意打ちに長州は驚き
総崩れになった。(禁門の変)、西郷隆盛は島津久光から京の薩摩軍の指揮官を任じられて赴任していた。
この戦で、松下村塾(しょうかそんじゅく)の英才、久坂玄瑞(杉文の夫)、入江九一らが戦死、ほかにも300を越す
兵が戦死して長州に逃げ帰った、だが京の町は戦火と放火でかなりの範囲が焼け落ちてしまった。
長州は再起できないほどの痛手を受けたが、幕府軍は長州を完全に叩きつぶそうと
長州遠征軍を組織した、主力は西郷率いる薩摩軍、そして幕府軍の司令官も西郷が務めることになった
西郷は幕府のように長州を憎んではいなかった、だからどのように長州に当たれば良いのか悩んだ
そんなとき運命の出会い。
その相手とは幕臣である、ちょっとどころかそうとうおかしな人物である、その名は「勝海舟」
咸臨丸でアメリカに渡って世界を体験してきた男だ、勝は西郷に言った、穏やかな口調だが江戸っ子のべらんめえ
「日本などという小さな国の中で幕府だ、長州だ、薩摩だ、朝廷だと細かなことで争っているうちに、清国のように
日本は異人どもに食い荒らされちまうよ、おまえさんも薩摩のいやさ、日本の英傑と言われる人だ、ここは辛抱して
長州を大きな心で許してやんなよ、そして藩も幕府もねえ、みんなで知恵を絞ってさ、どうやってこの国の舵を切って
いけば、この国難を乗り切れるかかんげえようじゃないか
幕府だって、もう人材が種切れだ、ずるい役人ばかりになって井伊直弼さんみてえにてめえの命を張ろうって
立派なサムライはいねえのさ、西郷さん、長州のことは上手くおまえさんが、まとめて見せておくれ」
西郷も、こんな大きな考えを持っている人間に出会ったのは、旧主の島津斉彬公以来だった、しかも幕臣にこんな
人物が居たとは意外だった、そして長州遠征のテーマを得て、西郷の重かった心が、明るく開けたのだった。
西郷は軍を長州国境にとどめると、僅かな供だけを連れて、長州の本陣に乗り込んだ、薩摩、会津の両藩を最大の
敵と見なしている長州だ、殺気だった陣営ではいつ西郷の首に刃が振り下ろされるかわからない
だが西郷は微塵も恐れていない、「我が身を捨てる気であたりゃあ、なにごともできねえ事なんかないのさ、鬼だって
その心意気に惚れ込むものだよ」、勝の言葉を思い出している西郷だった
長州の毛利公はすでに降参する気持ちでいた、なにせ京では散々負けてしまうし、おまけに外国の連合艦隊が
下関にまたしても砲撃を加え、町は焼かれ、砲台も占領される有様だったからだ。
西郷は、毛利の殿様が隠居すること、首謀者の3名の家老に切腹させること、都から来た公家を長州から出すこと
などの条件で、長州を攻撃しないと約束した。
長州側もこれを承諾したのだった、西郷はこうして勝海舟のことばどおり寛大な処分で、家老三人の犠牲以外
長州も幕府軍も一人も犠牲者を出さずに、第一次長州征伐を収めたのであった。
だが長州藩内では高杉晋作を中心に若手武士が不穏な動きをしていたのだった、西郷の思いとは裏腹に彼らは
いまだ徳川幕府殲滅を企てていたのだ、恐るべき執念であった、だが長州単独での幕府打倒は絶対無理なことは
明らかだった、それは高杉もわかっている、どうすればいいのか、この日本で孤立した長州に賛同する大名など
いない、歯がみをする高杉・・・・・・・・・。
ここに土佐藩脱藩浪士「坂本龍馬」が高杉らの救世主となって登場するのである。
この坂本龍馬もまた、勝海舟と深いつながりをもっている人物であった。 つづく
名の家老を名の