40年前の職場の同僚から、小生にとって貴重な資料が届いた。
血気盛んな時代の出来事の記録資料だから脳裏に焼きついている。
20歳台後半から転職し、独立する前の約9年間広告制作会社に勤務。そのあいだの4年間は極激務という表現が当てはまる。
週のうち半分は会社に寝泊まり。仮眠室があるわけではなく、デスクの横にダンボールをひき寝ていた。
残業手当がつくわけでもなく、当時の労働環境をいまに置き換えるなら言葉が見つからない。
数年間、月刊誌2誌を同時に発行していた。代表者の無謀な夢に付き合っていた。
広告制作会社が出版社を立ち上げ、出版業務の素人集団で出版業務の企画から編集、制作、取材、原稿作成、広告要請、販売まで
すべてをやっていたから不思議である。"やればできる" の精神だけで前に進んでいた。
そんなど素人集団の結末が新聞(写真)のとおりである。真ん中に小生の下向きの写真が掲載されている。
無謀な数年間だったが故に、振り返ってみると記憶から消えない人生のページとなった。
朱がいっぱい書き込まれたページだが、これが次のステージの色見本として役立ったことは間違いない。
血気盛んな時代の出来事の記録資料だから脳裏に焼きついている。
20歳台後半から転職し、独立する前の約9年間広告制作会社に勤務。そのあいだの4年間は極激務という表現が当てはまる。
週のうち半分は会社に寝泊まり。仮眠室があるわけではなく、デスクの横にダンボールをひき寝ていた。
残業手当がつくわけでもなく、当時の労働環境をいまに置き換えるなら言葉が見つからない。
数年間、月刊誌2誌を同時に発行していた。代表者の無謀な夢に付き合っていた。
広告制作会社が出版社を立ち上げ、出版業務の素人集団で出版業務の企画から編集、制作、取材、原稿作成、広告要請、販売まで
すべてをやっていたから不思議である。"やればできる" の精神だけで前に進んでいた。
そんなど素人集団の結末が新聞(写真)のとおりである。真ん中に小生の下向きの写真が掲載されている。
無謀な数年間だったが故に、振り返ってみると記憶から消えない人生のページとなった。
朱がいっぱい書き込まれたページだが、これが次のステージの色見本として役立ったことは間違いない。