一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

129   絆にも解きやうがある冬帽子   順子

2011年01月18日 | 

 この句を見た時、どういう意味か全く分からず、釘づけになってしまった。そして、今でも分からない。そこで、ようやく調べることにした。

 

絆を辞書で調べると

1.  人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。「夫婦の

2.  馬などの動物をつないでおく綱。

 

 やはり、そうだ。1の切っても切れないのが「絆」であり、それも良い意味で使うべきなのだ。決して、「腐れ縁」のように悪い意味で使ってはいけないのだ。

 

最近は、アメリカ並みに離婚が増えている。絆が腐れ縁になり、意を決して「熟年離婚」となる。

つまり、絆が絆でなくなってしまいながらも、別れる勇気がないのだが、「いや考え方一つで別れる良い方法がありますよ。」と言っているのかもしれない。

 

まさか、2の意味ではあるまい。

 

 冬帽子も関連性が不明で、この句駄目な句なのかもしれないのだが、どうしても気になる句、まあそういう句もあるんですね。

 

この句♪ 何の句♪ 気になる句 ♪♪♪

見たこともない句ですから♪♪♪

見たこともない♪♪♪

花が咲くでしょう♪♪♪

 

 

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128   寒の入り赤い服着たお犬様   パピー

2011年01月17日 | 

 最近のペットブームの特徴の一つに、ブランド犬がある。様々な犬種がありすぎて、私は名前を覚えられない。ちなみに、我が家の犬は、2匹とも雑種で「元野良犬」と「野良犬の子供」である。

 

 さてこの句の、「犬が服を着る」、いや「犬に服を着せる」という行為に違和感を感じる人も多いのではないだろうか。

 

 この句のお手柄は、「お犬様」という言葉を選んだこと。「お犬様」からは、かの有名な「バカ殿」綱吉の「生類憐れみの令」を想像することができる。つまり、行き過ぎたペットブームに対する、かなり皮肉っぽい句と言えなくもない。

 

ところで、犬好きが何十年にも亘り何匹も犬を飼い、究極に辿り着く犬種が、どうやら「ブルドッグ」らしい。

 

ブルドッグは、人間の要望によって品種改良し作られた「究極の犬」なのだ。欠点は暑さに弱く、寒さに弱い。なおかつ短命。したがって、冷暖房が必要だし、服も必要。短命で飼い難いのだが、だからこそ深い愛情がないと生きていけないのだ。

 

「親バカ」という言葉があるが、「犬バカ」にならないとブルドッグは飼えないようだ。

 

遊君は、「犬バカ一家」のお陰で、愛情たっぷりにすくすくと育っているらしい。

 

 

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開き直りこそが秘訣 その2

2011年01月16日 | つぶやき

 今日は、全国的に雪模様のようです。そこで、兼題を出します。

「冬籠(ふゆごもり)」です。

今、あなたはパソコンの前に座っているわけですが、そこは書斎ですか? それとも居間ですか? 仏間ですか?台所ですか?・・・・・・

部屋の回りを見回してみましょう。見慣れた光景で、感動もないかもしれませんが、そこで1句ひねってみて下さい。何か音がきこえませんか?何か香りませんか?誰かそばにいませんか?それら全てが、俳句の材料です。

私がやってみますね

冬籠ラジオパソコン血圧計

こんな風にあなたもどうぞ作ってみて下さい

 成すべきを明日へと延ばし冬籠   優
冬籠犬の散歩も滞り
会いたいね口先だけで冬籠る
冬籠ブログにはまり夜更かしす
相槌の旨くなりたり冬籠
堂々と朝寝をしおり冬籠
又一つ蜜柑箱増ゆ冬籠
冬籠春を待ちおり服重ね

冬籠去年の編みかけ持ち出して  2gawa
冬籠あなたがいなくてもう五年
冬籠ビオラは識らず咲きており
冬籠老いたる母へ甘酒を
冬籠捨てきれず服また仕舞う

冬籠サウナ水泳エアロビクス   パピー



 

「ふゆごもり」は、「冬籠り」ではなく「冬籠」と表記します。

これは、歳時記に準拠します。

ふゆがまえも「冬構え(へ)」ではなく「冬構」です。

歳時記で確認してください。

 

尚、動詞として使う場合は、

当然ですが「冬籠る」と「る}を使って下さい。

  

 

 

 優さんは、8句。2gawaさんは5句。一つの季語(兼題)でこれだけできれば、

言うことはありません。

歳時記から、今時にふさわしい季語を探して、どんどんお作り下さい。

 

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127   梅の花一つ斥候かもしれず    多可

2011年01月16日 | 

今どき、斥候(せっこう)という言葉を知っている日本人は、どのくらいいるだろうか。

 

 辞書には、「敵の状況や地形などを探ること。また、そのために部隊から派遣する少数の兵士。「斥候を放つ」・・・・・・こんな言葉を、誰も知らない時代が来ることを祈る。

 

 さて、例年より早く、我が家の梅もほんの数輪が数日前から咲きだした。しかし、その後寒さのせいかさっぱり咲き増えない。正に梅の木の「斥候」として咲いているのだ。

 

 梅は、春の季語だが既に咲いている。まず咲くはずの「万作」は、咲いていない。

 

 梅さんも万作君も、一体どうしたの?

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開き直りこそが、秘訣

2011年01月15日 | つぶやき

俳句をやっていると、必ず壁にぶち当たることがある。私も何度か経験している。

長い時は1年以上俳句ができなかったこともあった。しかし、今では止めないで本当に良かったと思っている。

 

 では、一体どうしたらこの壁を打破できるのだろうか?

 

   俳句をうまく作ろうと、思いがちです。学校の成績が気になったように、私達はついつい人と自分を比較してしまいます。しかし、

 

私は私なんです。なんら恥じることはありません。

 

 NHKの絵手紙の先生の言葉ですが、「下手が良い」というのがあります。「下手で良い」ではないんです。「下手良い」んです。

 

 私ぐらいの年になると、「テニスなどで下手を自慢していますが」、そこまでいかなくとも、せめて「恥ずかしい」は止めて、開き直りましょう。

裸の素ッピンピンで、町を歩けと言っているのではありません。その気になれば、誰でもできることです。

 

この開き直りこそが、実は上達の秘訣なのです。

 

そして、見えたまま、聞こえたまま、感じたままを、素直に、正直に言えばいいのです。

 

決して、上手に作ろうとしてはいけません。

 

コツが分かれば、たまには嘘をついたり、騙したり、冗談を言ったりと遊び心も余裕も生まれてきます。

 

そこで問題です。

下の写真をようく見て下さい。私の知り合いのブルドッグです。どうぞ、一句作ってみて下さい。

ちなみに、彼の名前は「遊(ゆう)」君です。生まれてまだ3カ月です。

上五に、季語の「寒の入り」にします。あと、7・5を入れて下さい。

私が、やってみますね。

 

寒の入りあなたはなんて可愛いの

 

こんな風にあなたも作って下さい。 

 

   

寒の入り犬と皺を競い合い       パピー
寒の入り遊に負けたシワの数
寒の入り私もこんな服欲しい

寒の入り犬寒かろと着膨れる    優
寒の入り犬着膨れてふて腐れ
寒の入りふて腐る犬ポーズ取り
寒の入りポーズ取る犬悦に入り
寒の入り遊と名づけて遊ぶ犬

パピーさん、優さん

さすが、パッと思いつく所がすごいですね。

善し悪しを考えず、感じたことを素直に言う。

そして、沢山作って沢山捨てる。こんな調子で

2,30句作れば、ハッとするような句がいくつかできるものです。


寒の入りもうすぐ春だと九十歳       2gawa
寒の入り閉じ込められて一句かな
寒の入り上戸の人ぞ羨まし
寒の入り以前の誘いに返事する
寒の入り長座しかねる庭のチェア  

寒の入り犬飼い主に似ると言ふ      パピー
寒の入り幸せ背負って犬来る
寒の入り赤い服着たお犬さま  

 

 
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126   休み窯切る水仙を滴らせ

2011年01月15日 | 

年4回焚いていた穴窯の窯焚きも、10年ほど前から3回になり、去年からは春秋の2回に減らした。一回に7トン使う薪を割らねばならない。それが大変なのだ。

 

365-(5×2)=355日だから、穴窯は1年のほとんどが「休み窯」だ。 

 

 さて、庭に水仙が咲きだした。いつだったか、水仙を切ると切り口からポタポタと液が滴るのを発見。そんな草は、そう沢山あるものではない。明日葉は、黄色の汁が出るか。他にもまだあったっけ?もっと知っている方は、是非教えて下さい。

  

 俳句の効用の第一は、知らないことを知ること。知ってしまえば、どうということはないのだが、知ることが実に嬉しい。だから俳句は止められない。

   

 私は、俳句を始めるまで、植物にほとんど関心がなかった。ところが、俳句を始めてみると、なんと沢山の草花があることか。そして、名前を人に尋ねたり、図鑑で調べたりして増えてゆき、その数はたぶん何百種類にもなると思う。

  

悔しいが、最近はど忘れが多くなり、なかなか思い出せない。

 

 

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125   朝刊の第一面や冬景色   炎火

2011年01月14日 | 

朝刊の第一面に、北海道か何処かの白鳥の群れている冬景色の写真が載っていた。それではありふれていて、ちっとも面白くない。

 

「第一面や」と「や」で切れているから、この場合朝刊と冬景色は無関係ととらえるのが自然だ。

 

つまり、作者は、第一面の記事、例えば管直人民主党のだらしなさ、小沢の狸ぶり、など日本の政治に呆れているのだ。

 

そして、この寒々とした窓の外の冬景色と同様、日本の政治や経済の寒々しさを嘆いている。そう解釈するのが自然だ。

 

 

 

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124   新しき布巾の白さ寒の水    洋子

2011年01月13日 | 

今年の寒は、小寒の1月6日から大寒の20日まで。又は立春までのおよそ30日間を言うこともある。

 

 一年で最も寒さの厳しい時期だが、四月の気温だったりすることもある。

 

 さてこの句、暮に用意した真新しい布巾を、年が明けて下ろす。それも寒の水にである。寒の水の透明感と、白い布巾の清潔感がマッチしている。

 

 近年、ボイラーやエコキュートなどの温水器が各家庭の隅々に及んでいる。我が家も4年前、ようやくお湯が使えるようになった。

 

 とはいえ、蛇口をひねれば、すぐお湯が出てくるわけではない。蛇口とボイラー間に距離があると、一分ほどかかることもあるのだ。忙しい主婦には、それを待っている余裕はない。

 

 

 

 

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123 火に寄りて犬眠りをる初景色

2011年01月12日 | 新年

(ひによりて いぬねむりをる はつげしき)

 

「ゆうきやこんこんあられやこんこん、ふってもふってもまだふりやまず、いーぬはよろこびにわかけまわり、ねーこはこたつでまるくなる」という童謡がある。

 

 ところが、犬も猫と一緒で、雪や寒さが大嫌い、というより、ストーブなどの暖かいものが大好きなのだ。

 「ちょっと、ちょっと、デンちゃん、そんなにくっついていては火傷するよ」と言うほどストーブにくっついている我が家の犬たち。

 

 さて、今日の本題。真冬に犬を屋外の小屋で飼うなどとんでもない。「飼う」などと言う言葉は使いたくない。絶対、家の中で一緒に暮らすべきだ。

 

犬は、働かないしお金を欲しがらない。新聞も本も読まない。洗濯もしないし、テレビも見ない。車も必要としない。冷房も暖房もいらないし電気製品も一切欲しがらない。

 

 彼らに必要なのは、第一に食糧。その他には色々あるが、私達人間や仲間と楽しく暮らすこと、その術は本当によく知っている。彼らには、羞恥心がない。平気でうんちやおしっこをするし、loveもする。

 

 切りがないのでこの辺で止めておくが、最近の私は、人間である自分が愚かで、犬が賢く思えてならない。 

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122  好好爺かくありたしと初詣  雲水

2011年01月11日 | 新年

(こうこうや かくありたしと はつもうで)

 

 

今年の私の年賀状の句。

 

 好好爺(こうこうや)とは、気の好い、善意に溢れたおじいさん、と辞書にはある。例えば、「笠智衆さん」が第一に思い浮かぶ。女性なら、「きんさん、ぎんさん」だろうか。

 

 句友から、「60代で好好爺は、気持ち悪い、90代ではないか」という発言があった。確かにそうかもしれない。唯、私にとっての「好好爺」は、ちょっと解釈が違う。

 

 私のような自己中心的で、わがままな人間が、好好爺になれるとはとても思えない。だからこその「かくありたし」なのだ。

  

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121  手の平でふわっと融ける雪なれど  ひめ

2011年01月10日 | 

(てのひらで ふわっととける ゆきなれど) 

 

今朝は、この冬の初雪で一面の銀世界になった。正にふわっと融ける淡雪で、3~5センチ程度の積雪でこれから晴れるそうだから、すぐ融けてしまうだろう。

 

暖地の雪は、少し降っても交通マヒや事故を引き起こす。家庭では、大人も子供も大喜びだ。しかし、積雪三メートルに及ぶ新潟の豪雪地帯の人々の苦闘をニュースで見るにつけ、私達南国に住む者が、目の前の雪に気軽に喜んでばかりいられないことを痛感する。

 

この句の「なれど」には、作者のそういう雪国を思いやる心があるのではないか、と想像する。

 

 

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渦巻く吹雪自画像に秘しゴッホ   炎火

2011年01月09日 | 

120

 

渦巻く吹雪自画像に秘しゴッホ   炎火 

 

1853年生まれのフィンセント・ファン・ゴッホは、37歳で自殺するまでの10年間に、約40枚あまりの自画像を描いたという。

若い頃のかしこまった自画像。ゴーギャンと共同生活をしていたときに、耳を切り落とした後の包帯を巻いた自画像。死の前年の自画像などがある。

 

この句の自画像は、死の前年の自画像であろう。背景、服、顔までも渦巻く曲線で描かれている。

牧師の子に生まれ、10年間に2,000枚の絵を描いたが、生涯にたった1枚しか売れなかった、ゴッホの苦悩の象徴とも思われるその渦巻く曲線。

 

この句の作者は、その曲線を吹雪と見立て、更にその吹雪を秘しているという。見事な想像であり、季語も破調もそれを援護している。

  

さて、日本人として恥ずかしい余談であるが、

 ゴッホの代表作「医師ガシェの肖像」は、21年前ある日本人が、124億円余で落札した。彼は生涯公開せず、「棺桶に入れて焼却してくれ」と豪語したそうだが、死後は銀行担保となり転売されたという。

 

この話を聞いたらどう思うか、ゴッホに聞いてみたいものだ。

 

 

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蕎麦喰らう主を睨む獅子頭      海人

2011年01月08日 | 新年

119 

蕎麦(そば)らう主を(にら)む獅子頭      海人 

 

 正月の獅子舞を見なくなって久しい。獅子頭は、木製で漆塗り。獅子頭の口が開閉しカタカタ鳴る。舞が終わると、その口がご祝儀を銜(くわ)える。獅子の体は、唐草模様の大布。笛や鉦もあったように記憶している。

 

獅子の主とは、勿論獅子頭を操る親方に違いない。獅子頭を外し、布を畳み、振舞われた蕎麦を啜っている獅子舞の二人を、少年がものの陰から覗いている。

 

「このおじさん達がやっていたのか」「あの蕎麦うまそうだなあ」

 

二人を睨んでいるのは、縁先に置かれた獅子頭ではあるが、怖がったり、驚いたり、がっかりしたり、羨ましがったり、本当に睨んでいるのは、少年時代の作者なのかもしれない。

 

兎に角、数十年前までこういう光景は、日本の津々浦々、山村で見ることができた。富山の薬売りなども、戦後の変化と共に消えて行ったものの一つ。

 

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婿殿に王手をかけて初笑い  百杉

2011年01月07日 | 新年

118

 

婿殿に王手をかけて初笑い  百杉

 

私は、ヘボだが囲碁も将棋もやる。最近はあまり実戦しないが、NHKの囲碁と将棋は、毎週欠かさず録画して見ている。プロ棋士たちの戦いや解説は、難しいが実に面白い。

 

 しかし、プロと私アマチュアとの差は歴然で、相撲で言えば、横綱白鵬と私との差だ。つまり、白鵬が軽く触っただけで、私は倒れてしまう。

 

 さて、将棋は、相手の王様を取ってしまえば勝ちとなるのがルール。王手というのは、「あなたの王様を次の一手で取りますぞ、逃げなされ」逃げられなければ負けだ。

 

 私達ヘボは、ヘボ同志だから、これが又実に楽しい。まして、相手が「婿殿」となれば。作者は、王手を掛けてにんまりと笑ったのではない。きっと「がははは」と大笑いしたに決まっている。

 

しかし、百杉さん、油断大敵です。ほらほら、逆王手が掛かりそうです。

 

 

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初日記ページあふれて誌しけり   多留男

2011年01月06日 | 新年

117 

 

初日記ページあふれて誌しけり   多留男 

 

私は、過去に何度か日記を付けようとしたことがあるが、全て三日坊主だった。毎日していること、例えば何時に起きて、歯を磨き、朝食に何を食べ、家族とどんな話をし・・・

 

そんなこと、1週間ぐらいならなんとか書けるが、それ以降はほとんど同じようなことを書くことになる。書きたい事件など、毎日起きないのだ。それが馬鹿らしくなって、止めてしまう。

 

ところが、何年間もずーっと毎日書くことが異なり、色々書ける人がいるのだ。作家もそうだが、次々と書くことが湧いてくるらしい。

 

ということは、事実を書くことだけが、日記ではないということだ。感じたこと、思ったこと、想像したこと、夢や希望や・・・・

 

作家の阿部公房は、「テーマを決め、ストーリーを考え、登場人物を設定すると、主人公たちが勝手に動き出し、勝手に喋り出すので、唯それを書き留めるだけ」と言ったそうだ。

 

 我が師匠・多留男先生も、どうやら作家タイプらしい。書くことが次々と現れてくるらしい。ページを溢れてもまだ書きたいことがあるなんて、羨ましい限りである。

 

 そんな私でも、最近不思議なことが起こっている。禁煙とこのブログである。まだ、3カ月余りだからなんとも言えないが・・・・・

 

それでもこの3カ月は、私にとっては「大したこと」なのである。もしかして、私は「俳句人間」なのかもしれない。

 

 

 

 

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