一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

嘘多き女可愛いや初詣    遊石

2011年01月05日 | 新年

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嘘多き女可愛いや初詣    遊石

 

「我が町の遊び人」と自他ともに称される作者。ようやく最近になって、遊び人の前に『元』が付くようですが、俳句には当時の面影が彷彿として、可笑しいやら羨ましいやら、男なら一度は味わってみたい境地です。

 

 借りたものを返すと言って返さないような嘘は困りますが、過去の自慢話や法螺話はこちらが知らないだけに、本当にも嘘にも聞こえます。被害がないから、本当かどうかと深刻にはなりません。

 

 そういう法螺話をする人、まわりに時々いますよね。最初は警戒しますが、付き合っていると意外と善良な人が多いようです。

 

 まして、それが若い女性だったら、許すどころか確かに可愛いと思うかもしれませんね。

 

 

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初みくじ大吉一本回し読む      つねひごろ

2011年01月04日 | 新年

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初みくじ大吉一本回し読む      つねひごろ

  

一年の最大のハレは、何と言っても正月。日本人の初詣は、延べ数千万人を数えると聞く。神社で御神籤を引くのもお手軽な楽しみだ。

 

「やったー大吉だ」と誰かが言えば、「いいなあ、見せて見せて」と仲間が寄ってくる。そして回し読む、平和な光景。

 

興醒めかも知れないが、句会での話。「おみくじ製造販売業」なる職業があり、全国の神社に納品しているそうだ。三が日だけでも数十億円規模である。

 

又、大吉以下、どのような配分になっているのかも気になるところ。吉が多いに決まっている。

尚一例として、大吉以下、十二種類を幸運の順に並べておく。

 

大吉→中吉→小吉→吉→半吉→末吉→末小吉→凶→小凶→半凶→末凶→大凶

 

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これをしにこの世へ来たか窯始

2011年01月03日 | 新年

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これをしにこの世へ来たか窯始

 

『隣の部屋へ行ったのだが、「何しに来たのか」忘れてしまうことが、誰でもよくある。それと同じように、人間は「この世へ何しに来たのか」皆忘れて生まれてくる。そして、多くの人間は、思い出せないまま死んでゆく。もしも思い出せたら、そいつは幸せ者だ。』

 

 これは、NHKのラジオ深夜便の「こころの時代」での、何処かのお坊さんの言葉。「なるほどなあ、私は一体この世へ何しに来たのだろう?」命題が又一つ増えた。

 

 その頃の私は、陶芸を「これがまあ、終の仕事か」とは、思っていなかったのだ。もっと面白い仕事があれば、いつでも転職するつもりだった。

 

ところが、ある夏の明け方、窯を焚いていて、余りの暑さに窯を離れると、丁度日の出にぶつかった。その途端、美しい朝焼けに感極まったのか、涙がどどっと溢れてきたのだ。その感動を言葉にすれば、「私はなんという幸せものか,有難や」今思うと、これは神の啓示だったのではないか、と思う。

 

それ以来、「陶芸は私の天職」を受け入れることにした。

 

そして、その年の暮、年賀状にこの句を書いたのだ。15年前のことだ。

尚、「来たか」の「か」は、感嘆の「か」ではなく、疑問の「か」である。たぶん私が死ぬまで、疑問の「か」である。それでいい。

 

 

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糸切れて凧つかの間の川の上

2011年01月02日 | 新年

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糸切れて凧つかの間の川の上

 

宇宙誕生から150億年、地球誕生から40億年、人類誕生から30万年、キリストが生まれて2010年、私が生まれて何十年・・・・・

 

地球を含む銀河系には、2000億の星があり、その直径は10万光年・・・・・・・などと、時間や空間という不思議な宇宙の数字と遊ぶと、私という人間の存在の小ささが解るし、生活の中の一喜一憂に固執することなどは、ほとんど意味がないように思えてくる。

 

しかし、そういう微塵の世界に生きていることを認識してこそ、生きている本当の意味や尊さが分かってくるのではないだろうか。

 

私が生きていること、家族や友人と出会ったこと、道端の名もない草花とさえ、今ここでの出会いが奇跡であり、不思議な縁で結ばれていると思えてくる。

 

そして、この自然界の全ての存在に愛と慈しみを感じるようになる。この愛と慈しみが俳句創作の原点なのだ。そういう基本的な考え方に立って、これからも俳句を作っていきたいと思う。

 

 この句は、川に落ちてゆく凧を、生きている自分と重ね合わせたものである。凧は、本来春の季語であるが、旧暦の1月は春なので、敢えて年賀状にこれを書いた。

 

 

 

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112      元旦の気分で暮らす後半生

2011年01月01日 | 新年

  いよいよ新年となりました。しかし、旧暦ではまだ11月27日なんです。旧暦人間としては、抵抗がありますが、時代に逆らっても仕方ありません。今日が元旦として、やっていきましょう。

 

さて、人生50年と言われた時代から、何年経ったのだろう。今では、人生80年になってしまった。残りの30年をどう暮らすか、考えてみた。

 

元旦は、1年で最も厳粛な日ではあるが、働く必要もなく、一番いい服を着て、朝から酒を飲んでもいいし、ゲームで遊んでもいいし、何をやっても許されるし・・・・・・

 

とまあ、そんな元旦の気分で1年を暮らせたらいいなあ、という私の願望が句になった。

 

今後、特に良くないことが起きた時、「ガンタン・ガンタン」と呟くと、気持ちがスーッと治まってしまうから、不思議です。あなたもやってみるといい、効果絶大ですよ。そのためには、今日の気分をようく覚えておきましょう。

 

 但し、これは、あくまで気分だけです。行動に移して朝から酒を飲んだりしてはいけません。特に年金生活者などの「有閑人」は気を付けて下さい。 

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