旅館の部屋付きの桧の露天風呂。たぶん柚子が2,30個は浮いているであろう。人間70億人の半分35億人が女。その中のざっと5億人の中から選ばれた運命の女と、今作者は柚子湯に入っている。
もう連れ添って、ウン十年。こうして二人柚子湯に入っているのも、運命だったし、神様のお導きとも言える。考えてみれば、生まれも、育ちも、結婚も、仕事も・・・・生きるとはすべて、「行きずり」の積み重ねなのだ。
この句を下司に勘ぐっては、作者が浮かばれませんぜ。
旅館の部屋付きの桧の露天風呂。たぶん柚子が2,30個は浮いているであろう。人間70億人の半分35億人が女。その中のざっと5億人の中から選ばれた運命の女と、今作者は柚子湯に入っている。
もう連れ添って、ウン十年。こうして二人柚子湯に入っているのも、運命だったし、神様のお導きとも言える。考えてみれば、生まれも、育ちも、結婚も、仕事も・・・・生きるとはすべて、「行きずり」の積み重ねなのだ。
この句を下司に勘ぐっては、作者が浮かばれませんぜ。
たまたま1131でも申し上げたが、この句は三猿の「言って言わざる」ですな。たぶん、わが子にでしょうが、苦言を呈したが全く効果がなかったのだろう。効果どころか、息子に無視されたのではないだろうか。相手にもされなかったのだ。
最悪の想定としては、息子に反論されて、「あんたには、カンケーねーだろー」なんて一発ぶち込まれたら、そりゃあ心に大きな穴が開いただろうね。なにせ、親にそんな口をきくよう育てた、その育て方に失敗した自分が悪いんだから、諦めるしかない。子育ては、やり直しがきかないんだから。
そんなドラ息子でも、「寒かったでしょう。さあさあ、暖かいおでんでもお食べ、あなた好みに作りましたよ」くらいの方が、よっぽど息子の心に沁みるんじゃないですか。
ヤマガラ(山雀)
「おでん」の元祖は「田楽」らしい。つまり、煮込み田楽である。串に刺したコンニャクや豆腐を温めて味噌だれを付けた田楽と煮込み田楽がある。
おでんの具や味付けは、大きく分けて関西風と関東風(関東焚き)があるようだが、現在は、地方によって様々な工夫がなされているから、何とも言えない。
さて最近は、台所に入る男がかなり増えているようだが、団塊の世代以前では台所の主人は、ほとんどが女性である。育児期は、子供好みが主流であっただろうが、子育てが終われば、真実女性の天下。おでんの具も味も全国「かかあ天下」であろう。めでたし、めでたし。
伊豆山神社
(おでんざけ 「どうやたいしょう」 「ぼちぼちや」)
「ぼちぼち」は、関西でよく使われるそうやが、関東でも使いまっせ。
1,そろそろ。・・・「ほな、ぼちぼち行こか。」
2,気楽に。ゆっくりと。・・・「商売は、ぼちぼちやったらええ。」
3,まあまあ。とんとん。・・・「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんなぁ」
この句の「ぼちぼち」は、どうやら3番でんなあ。そやけど結構儲かっとっても「ぼちぼち」言うそうやで。騙されたらあかん。気ーつけな。
それから、「お陰さんでボチボチでんなぁ」ともよく言うそうやで。神さんに感謝しとるから「お陰さん」と言うそうやで。なるほど、ええ言葉やなぁ。
(きつねと たぬきとなりて もちをやく)
「40才になったら、自分の顔に責任を持て」という諺があるが、体型も含めて、痩せのキツネ型と肥満のタヌキ型は、遺伝的要素が強いかもしれない。
夫婦には、駆け落ち夫婦、出来合い夫婦、似た者夫婦、ノミの夫婦、おしどり夫婦、破れ鍋に綴じ蓋など色々あるが、いづれにしても「偕老同穴」、永遠に同じ穴に納まるのが良い夫婦のようである。
さてこの句、餅を搗くのでも食べるのでもなく、焼くんですよね。座敷の座卓の隣に、火鉢があって、かんかんと炭が燃えて、五徳に餅網が乗って、その上で餅を焼いている。なんか童話の世界みたいです。この狐狸夫婦、似た者同士で仲が良いのか、それとも化かしあいをしていて仲が悪いのか、私にはさっぱりわかりません。これはやはり、遠藤周作先生に聞いてみるのが良いかもしれない。
(へいせいを よぶんとおもう えせししゃも)
シシャモ(柳葉魚)は、襟裳岬あたりの北海道東海岸のみに生息する魚だそうである。鮭と同種で、川で孵化し、海で育ち再び遡上し産卵するという。季語として冬になっているが、どちらかと言えば、鮭同様秋に近い。
現在全国に出回っているシシャモのほとんどが、本シシャモとは種類が違う、ロシアなど輸入品のキュウリウオやカラフトシシャモ(カペリン)だそうである。つまり、似非シシャモ。似非とは、似ているが偽物であること。
作者は、大正・昭和を生き抜いてきたのであろうか。そして、平成を余分に生きている、と言うのだから相当の御長寿なのだろう。余生ではなく、余分と言うところが不真面目というか、投げやりというか。似非だろうが、そんな気分が私とよく似ている。
1、『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざれば行うなかれ)とある。これは、紀元前の最も古い四猿である。
2、インドのマハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と自戒したそうである。
3、アメリカでは、三猿を用いて、猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう、子供たちを諭すそうである。
4、日光東照宮の三猿は、「子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりさせないで素直に育てましょう」という親への訓告だそうである。
5、日本の政治家たちは、三猿を厳守している。例えば、アメリカの核の持ち込みは見ない。持ち込みを知っていても言わない、国民の声を聞かない。
6、福島の放射能漏れでも、政府、官僚、東電は、三猿をできる限り固守しております。
さて、この句の作者の国とは、一体どこの国を指しているのであろうか。私には、日本然り、アメリカ然り、中国然り・・・・・どこの国も同じだと思うのだが・・・・・
7、ところで、俳句をやっていて気付いたのだが、もう一つの三猿、見て見ざる、言って言わざる、聞いて聞かざる、というのがある。
つまり、見て見ざる(見ているのに、心に留まらないのは、見ないのと同じ)言って言わざる(いくら言っても相手の心に届かないのは、言わないのと同じ)聞いて聞かざる(聞いても心に響かないのは、聞かないのと同じ)
私などは、見ても良く見ていないような馬鹿なのだが、お蔭様でこの年になっても、日々新しい発見の喜びがあるんです。だから馬鹿は有り難いんですね。めでたし、めでたし。
高校生の頃、ある大学祭に行った時のこと。確かキリスト系の宗教団体のブースの学生に「あなたは、何のために生きているんですか」と質問したところ、「死ぬためです」と答えたので驚いたことがあった。「だったら、早く死ねばいいじゃありませんか」などと生意気なことを言ったはずだ。残念ながら、その後の会話は全て忘れてしまった。
現在日本では、年間3万人が自殺するらしいが、彼らは「死ぬために生きていた」と言えるかもしれない。
世界各国の自殺者統計によると、多い主な国は、1位グリーンランド(83.0)、3位韓国(28.1)、7位ロシア(23.5)、9位中国(22,2)、12位日本(21.7)、21位フランス(17.0)、アメリカ34位(12.3)・・・・・(数字は、人口10万人あたりの自殺者数)
さて、この句の作者が、大学生と同様、「死ぬため=自殺」と考えていたわけではないことはお分かりでしょう。
ところで、今年の本当の七草は、立春過ぎの2月6日ですのでお間違えなく。勿論旧暦の1月7日です。
「仲の良い夫婦は子供がいない」・・・・・いやそうではなく、「子供のいない夫婦は仲が良い」が正しい。「子は鎹(かすがい)」の鎹がないのだから、この夫婦の鎹には「相性の良さ」がどうしても必要だろう・・・・・いや「思いやり」こそだろうか。
仲の良い夫婦になるには、この句のように相槌が打てればよい。オウム返しでも良いのだから簡単ではあるが、実際は至難の技なのである。
家庭内離婚も含めると、日本の夫婦の半数以上が離婚しているらしいから、如何に至難の技か分かるだろう。しかし、余りにも相槌が多すぎると、相手ばかりでなく周りもしらけるからご注意を。
ところでこの句、第23回伊藤園「おーい俳句大賞・一般の部B大賞」の句である。
尚、昨日は「小寒」で「寒の入り」だった。これからひと月ほどが最も寒さの厳しい時期。今年の冬は寒い、と言われながらも、関東南部は一粒の雪も降っていない。雪が降らないと、淋しさが募るばかりだ。
緩やかな坂道を下りていくと、前を行く女がふっと路地を左に曲がって消えた。坂道の先には、光る穏やかな海が初島と大島を浮かべていた。
海が目に飛び込んできたのは、正月の装いのたぶん和服の美しい女が消えたからに他ならない。
作者にとって、海を背景に坂道を歩く女そのものが初景色のはずだが、文法的には女が消えて初景色が現れたことになっている。だから不思議と言えば不思議な句ではある。
(はつすずめ かしこみかしこみ ついばめる)
日本から、雀が減っている、という。昔の古い木造住宅には、戸袋や瓦に隙間が沢山あり、巣を作ることができた。しかし、最近の住宅は、鉄筋コンクリート造だったり、木造でも気密性や密閉性が高く、巣を作る場所がないのである。
巣作り以外にも昆虫の食糧不足など、理由は色々あるだろうが、なんとスズメの個体数は20年足らずの間に最大80%、この50年では90%減とも言われている。国内の個体数は、およそ2000万羽で、人間のおよそ5分の1。
今、日本の人口は自然減少傾向にあるが、人間こそ5分の1に減らすべきだ、と私は力説したい。
三日間も料亭で食事をしたら、嫌になるに違いない。ましてや、正月の高価な特別料理など、見ただけで食欲がなくなってしまう。
旅に出て毎日、一時に並べられた旅館料理を見たら、うんざりするに決まっている。宿泊は素泊まりのホテルにして、街のはやっている居酒屋あたりで一杯やるのが一番だ。
昨年、高級ホテルの食品偽装が話題になったが、経営者側から料理人への圧力が強いのだろうと思われる。料理人が偽装をしたいはずはないからだ。
いづれにしても、利益や名声に血眼になり、ブランド名やミシュランに載っているかどうかなどに一喜一憂しているから、良心を失い偽装にまで発展するのだ。
「なけなし」は、ほんの僅かしかないこと。そして、死語に近い「三つ指」とは、玄関や座敷などで、女性が位の高い客人や夫に丁寧に挨拶をすること。「三つ指」には、「親指・薬指・小指」の説と、「親指・人差し指・中指」の説があるらしいが、徳川時代以前の封建時代の話である。
ある熱海の高級旅館では、女将が「三つ指」をついて客を迎えていたが、最近買収されてしまった。残念だが、また一つ「三つ指旅館」が減ってしまった。
それにしてもこの句、「なけなしの三つ指」というのが面白い。日本にとっても、作者にとっても実に希少な「三つ指」である。又、元旦こその「三つ指」でもある。
一口に天国と言っても、極楽、浄土、神の国、天界、楽園など、宗教によって様々な呼び方がある。神や仏陀など高邁な方々がお住まいになる所であるらしい。
例えば行けるはずはないが、私のようなものが天国に行っても、外国に行って全く言葉がチンプンカンプンなのと同様に、神々のことが全く理解できないだろう。まして、宇宙語のように言葉などではなく、テレパシーのような五感を使わない交信をしなければならないとしたら・・・・・退屈どころか淋しくって孤独死するかもしれないではないか。
とまあ、そんな馬鹿なことを考えるよりも、その前に「神は存在するか」そもそも「天国はあるか」という命題から考える必要がありそうだ。