東京ぶらりカメラの旅、巣鴨のとげぬき地蔵、文京区の白山神社とめぐり、この旅の最後は白山神社の近くにある駒込吉祥寺をたずねた。
梅雨の合い間、気温も上がった昼下がりのこと、井原西鶴「好色五人女」で有名にした「八百屋お七」の悲恋 名残りの寺である。<引用 朝日新聞 街プレーバック>
山門をくぐると今は深緑となっている枝垂れ桜や・・など、広い境内、正面に本堂、途中左手に、釈迦如来像、お七吉三郎の悲恋をしのぶ比翼塚がたたずんでいる。
「好色五人女」は井原西鶴(1642~93)の浮世草子、実際に起きた事件を下敷きにした男女の物語5編からなっている。1686年刊行、お七は火事で非難した吉祥寺で吉三郎と恋に落ち、再び火事が起きれば再会できると火付けをするが、捕らえられて火あぶりに処される。西鶴はお七が17歳で刑死したとするが、生年や恋のあいての名前などについて諸説がある。
お七が実際に避難したとされるお寺は近くの円乗寺であり、お墓もその地にある、西鶴は史実と異なる吉祥寺を舞台に選んだということです。
駒込吉祥寺由緒書きと説明して呉れた若いお坊さんによると、室町時代(1458年)開創、江戸時代には寺内に設けられた学校、栴檀林には常時千人以上の学僧がいたという。
境内の墓地には、諸大名をはじめ、知名人としては、榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳などのお墓があります。
なお、現在の中央線、吉祥寺駅は、往年当時の開墾地であり、本寺の領地であったため吉祥寺の名が残ったものであります。
これで途中下車の旅をおわります。<いわどの山荘主人>
<駒込 吉祥寺>
<吉祥寺山門 12:45>
<栴檀林 12:45>
<山門より境内 12:46>
<広い参道 12:46>
<釈迦如来像 12:47>
<お七・吉三郎の比翼塚 12:48>
<同上 12:48>
<本堂 12:50>
<栴檀の木 12:51>
<二宮尊徳 墓碑 12:55>
<地名由来書き 13:00>
梅雨の合い間、気温も上がった昼下がりのこと、井原西鶴「好色五人女」で有名にした「八百屋お七」の悲恋 名残りの寺である。<引用 朝日新聞 街プレーバック>
山門をくぐると今は深緑となっている枝垂れ桜や・・など、広い境内、正面に本堂、途中左手に、釈迦如来像、お七吉三郎の悲恋をしのぶ比翼塚がたたずんでいる。
「好色五人女」は井原西鶴(1642~93)の浮世草子、実際に起きた事件を下敷きにした男女の物語5編からなっている。1686年刊行、お七は火事で非難した吉祥寺で吉三郎と恋に落ち、再び火事が起きれば再会できると火付けをするが、捕らえられて火あぶりに処される。西鶴はお七が17歳で刑死したとするが、生年や恋のあいての名前などについて諸説がある。
お七が実際に避難したとされるお寺は近くの円乗寺であり、お墓もその地にある、西鶴は史実と異なる吉祥寺を舞台に選んだということです。
駒込吉祥寺由緒書きと説明して呉れた若いお坊さんによると、室町時代(1458年)開創、江戸時代には寺内に設けられた学校、栴檀林には常時千人以上の学僧がいたという。
境内の墓地には、諸大名をはじめ、知名人としては、榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳などのお墓があります。
なお、現在の中央線、吉祥寺駅は、往年当時の開墾地であり、本寺の領地であったため吉祥寺の名が残ったものであります。
これで途中下車の旅をおわります。<いわどの山荘主人>
<駒込 吉祥寺>
<吉祥寺山門 12:45>
<栴檀林 12:45>
<山門より境内 12:46>
<広い参道 12:46>
<釈迦如来像 12:47>
<お七・吉三郎の比翼塚 12:48>
<同上 12:48>
<本堂 12:50>
<栴檀の木 12:51>
<二宮尊徳 墓碑 12:55>
<地名由来書き 13:00>