川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

川ちゃん農園だより<東京ぶらりカメラの旅> 駒込吉祥寺

2014-06-20 10:26:35 | 東京ぶらりカメラの旅
 東京ぶらりカメラの旅、巣鴨のとげぬき地蔵、文京区の白山神社とめぐり、この旅の最後は白山神社の近くにある駒込吉祥寺をたずねた。
 梅雨の合い間、気温も上がった昼下がりのこと、井原西鶴「好色五人女」で有名にした「八百屋お七」の悲恋 名残りの寺である。<引用 朝日新聞 街プレーバック>
 山門をくぐると今は深緑となっている枝垂れ桜や・・など、広い境内、正面に本堂、途中左手に、釈迦如来像、お七吉三郎の悲恋をしのぶ比翼塚がたたずんでいる。
 「好色五人女」は井原西鶴(1642~93)の浮世草子、実際に起きた事件を下敷きにした男女の物語5編からなっている。1686年刊行、お七は火事で非難した吉祥寺で吉三郎と恋に落ち、再び火事が起きれば再会できると火付けをするが、捕らえられて火あぶりに処される。西鶴はお七が17歳で刑死したとするが、生年や恋のあいての名前などについて諸説がある。
 お七が実際に避難したとされるお寺は近くの円乗寺であり、お墓もその地にある、西鶴は史実と異なる吉祥寺を舞台に選んだということです。
 駒込吉祥寺由緒書きと説明して呉れた若いお坊さんによると、室町時代(1458年)開創、江戸時代には寺内に設けられた学校、栴檀林には常時千人以上の学僧がいたという。
 境内の墓地には、諸大名をはじめ、知名人としては、榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳などのお墓があります。
 なお、現在の中央線、吉祥寺駅は、往年当時の開墾地であり、本寺の領地であったため吉祥寺の名が残ったものであります。
 これで途中下車の旅をおわります。<いわどの山荘主人>

<駒込 吉祥寺>
<吉祥寺山門 12:45>


<栴檀林 12:45>


<山門より境内 12:46>


<広い参道 12:46>


<釈迦如来像 12:47>


<お七・吉三郎の比翼塚 12:48>


<同上 12:48>


<本堂 12:50>


<栴檀の木 12:51>


<二宮尊徳 墓碑 12:55>


<地名由来書き 13:00>