■ CQ WW WPX Contest の参加局を見ていたら、とても懐かしい OM のコールサインを見つけました。 クラブ局のオペレーターとして参加していました。 この OM は 45 年前から 「 モービルではなくてモバイルだ 」 と口角泡を飛ばして言い続けていました。 時代が早すぎましたね。 だって、皆、モービル石油って言っていましたから ・・・。
今でこそアマチュア無線以外では 「 モバイル 」 が主流になっており、OM も、そら見た事か ! と矛先をおさめている事でしょう。
当時からオンエアーのアクティビティーは低く OM の信号も数回しか聞いた事もなく、今は クランクタワーは降りてるしアンテナも乗ってないので、とっくに 無線には興味が無くなってやめてしまっているとばかり思っていたので、WPX Contest の結果でコールを発見した時はびっくりしました。 生きてたのかい ! 。 まさかコールサインが一周して別人だったりはしないでしょうね。
■ 田原総一朗氏が 1973 年に書いた 「 小説 テレビディレクター 」と言う書籍があります。 当時、業界ではちょっとした騒ぎになっていました。 過激で衝撃的な内容でした。 当時のディレクター諸氏は全員お読みになっていると思います。 あの頃の東京 12 チャンネル ( 現 テレビ東京 ) は後発 ( 1964 年開局 ) でしたから、NTV や TBS に視聴率で勝つには、それなりの仕掛け ( やらせ等 ) で挑戦しなくてはならなかったと言う事情がありました。 当時は 報道 の NET ( 現 テレビ朝日 )、ドラマ の TBS、スポーツ の NTV、バラエティー のフジテレビ、番外 の東京 12 チャンネルと言われていました。
文部省主催の芸術祭の企画として 「 少年院を退院する若者 」 をやらないか。 と田原総一朗氏に持ち掛けたのは作家の安田哲男氏だった。 ディレクターの田原総一朗氏は最初、乗り気ではなかったが予算が通常の 2 倍貰えると分かると芸術祭参加作品 「 出発 」 の制作が始まります。 なかなか出演者が決まらない時、「 一般人に犯罪を犯させ少年院に入って貰い、その人の退院後の更生を追う ( 中の様子も含め ) 」 のはどうかなど仰天のやらせ話を持ってくるものさえいたとか、田原総一朗氏の破天荒ぶりは Wikipedia で見て頂くとして。
本題の私と関わりのあった人物は、作家の安田哲男氏です。 私が覚えているだけで、先方はミリも覚えてはいないでしょう。 氏は大島渚監督で 1972 年封切 ( ATG 系 ) の映画 「 夏の妹、栗田ひろみ主演 」 の録音 ( チーフミキサー ) として参加されています。 麻布十番のアオイスタジオでの数日にわたる長時間のダビング作業のなかで、実は私もスタジオ側の人間として映写やテープ出し等で不眠不休で参加しておりました。 今思うと 「 あ~あの物腰柔らかな人が安田哲男さんだったのか 」 と当時を思い出しながら 「 小説 テレビディレクター 」 を読みました。 書籍に過去に関わった人の名前が出て来ると嬉しくなり、誇らしくもなります。 現在はどうしておられるのだろうか ? と思いを馳せるのです。