谷口神父投稿 10/02/01 (ミニスライドショー)
《復刻版》新求道共同体、責任者チームの世界大会
古いブログのカテゴリー分類が乱れていたので整理していたら、また「封印」されている一篇を見つけました。気を使って自粛した一連のブログの一つです。今ならもう差し障りがないかと思います。東北の大津波とのつながりもあります。当時の記録には、
「2010年ハイチ地震はハイチ時間の2010年1月12日16時53分(UTC21時53分)にハイチ共和国で起こったマグニチュード (M) 7.0の地震。地震の規模の大きさやハイチの政情不安定に起因する社会基盤の脆弱さが相まり、死者が31万6千人程に及ぶなど単一の地震災害としては、スマトラ島沖地震に匹敵する近年空前の大規模なものとなった。」
とありました。日本のように素早い復興の期待できない世界の災害も忘れてはならないでしょう。
キコさんの壁画の一部「キリストの顔」
トムコ枢機卿(高松の神学校設立当時の元福音宣教省長官=中央)と2時間半に亘って、
教皇様の粋な計らいで高松からローマに亡命した「日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院」の来し方、
行く末をゆっくり話し合った後、 アドリア海に面した夏の保養地ポルトサンジョルジオに向かった。
冬の短い日はとっぷりと暮れ、着いた時にはもう夜だった。
丘の窪地に突然カラフルな建物が現れた。これが、キコさんの設計による、通称「テント」だ。
最初、この場所に数百人を収容できる巨大な円テントがあった。朝、テント前の芝生の向こうの白い家の後ろには、霞んではっきりしないが、アドリア海が見えている。
テントは、昼の光の中では、着地した巨大なUFOの風情がある。
その中では、百数十カ国の派遣先から帰ってきた新求道共同体の宣教チーム800人近くが集まって、報告集会を開いていた。
800年前のアシジのフランシスコの藁屋根の集会を想起させる。そう言えば、キコはスペイン語でフランシスコのことらしい。
集会をリードするのは新求道共同体の創始者、キコ・アルゲリヨ氏、私と同じ1939年生まれだ。
報告はアジアから始まった。日本の事情は詳しく話された。日本の責任者は40年近くグレゴリオ神父だった。
アフリカ、中南米、北米、中近東、ヨーロッパの一部のチームが相次いで現状報告と分析を行った。
どこも問題のない地域はない。
フリーメーソンが政治と社会を支配していて、宣教が妨げられている地域、解放の神学が教会を指導している地域、
貧困、戦乱の国。アメリカでは性が乱れて、神学校まで汚染され、ホモの巣窟になって
司教がお手上げになり、新求道共同体に校長以下の養成担当者の派遣を求めてきた例もあった。
回教圏では、キリスト教徒を殺せば天国に行けると信じ込んだ殺人者からレデンプトーリスマーテルの神学生を守るため、
政府軍の狙撃兵が神学校の建物を守る中、神学生たちは震えながらクリスマスの夜を過ごしたという話も聞いている。
血の殉教は現実の問題なのだ。
1月12日のハイチの地震のニュースが伝わると、肉親の死の報せを受けた旅人が、家族を葬るために慌ただしく集いを去って行った。
1月16日にはバチカンの信徒省の長官リリコ枢機卿とイタリア人と、フランス人と日本人の司教たちと、
75人の神学校の校長たちの 共同司式によるミサが執り行われた。
かつて、この場所にあったテントの中で、バチカンからヘリコプターで飛来したヨハネ・パウロ2世教皇が行った通り、
全てはバチカンの承認した新求道共同体様式で行われた。 正面の絵はキコの画いた壁画。
香をたいてまず祭壇を清めるリリコ枢機卿
アレルヤ唱をギターの弾き語りで歌うキコ
800人に配るパンと葡萄酒の量は半端ではない。手焼きの種なしパンを裂く司祭は何時も大汗をかく破目になる。
聖体拝領の間、キコの音楽集団の演奏に合わせて全員が歌う。
前列左から二人目のヴァイオリニストは私と同期生のジャネスで、
かつて旧ユーゴスラビアの国立放送管弦楽団の第一ヴァイオリンを弾いていた男だ。
ミサの終りに祝福を与えるリリコ枢機卿。
右側で頭を下げているのが「日本のための亡命神学院」の院長、平山司教(元大分教区長)。
ミサが終わると、一同はキコの歌に合わせて祭壇の周りで輪になって踊る。
メロディーもステップもユダヤ教の過ぎ越しの祭りのベラカに似ているという。
空白のひと時、キコと平山司教とスリーショット。
会議中に訪ねてきた地元フェルモ教区の司教と祈るキコ。
休憩時間に日向ぼっこする日本の神学校関係者の一部。中央で司教と話しているのがグレゴリオ神父。
私は影となって手を挙げている。
11日間にわたる集いは、イタリア人の司教の司式するミサで締めくくられた。
ヘッドフォンをつけた後姿は平山司教。
ミサの最後のは何時もキコ達の音楽に合わせて踊りながら祭壇を取り囲む。
キコ達は歌う。
良く見ると、高松の神学校から移ってきた神学生のマヌエル君も、得意のファゴットで参加していた(左端)。
あれから2年。マヌエル君も立派な神父になり、ベトナムの宣教に旅立っていった。5月にはニューヨークのカーネギーホールで
キコのシンフォニー「無垢なものたちの苦しみ」のお披露目がある。私も行く。そこで会おう。
(おわり)