:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー2)

2013-05-20 13:02:35 | ★ 教皇フランシスコ

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初めて新教皇の姿に直接ふれて (そのー2)

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日本とローマとの間にはいま7時間の時差があります。

昨日のブログは、深夜を過ぎたところで、導入だけで終わった妥協の産物でした。

こちらは4時間寝たか、寝ないかで早朝6時の祈りとなった。

朝の祈りの後、コンピューターを立ち上げてメールを開いたら、

「昨日のブログ、あれは一体なんのつもりだ?教皇の姿も言葉もなく、見出し倒れだ!

どういう了見であんな内容のないブログをアップしたのか?怪しからん!木戸銭返せ!」

の強いお叱りが入っていて、恐縮!恐縮!起きるなり小さくなりました。

それで、名誉挽回のために、以下、本論に入ります。

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一晩ぐっすり休んで日曜の朝、目が覚めたら、ああそうか、ここは神学校の自分の部屋ではない。この家の主人が沸かすコーヒーの香りが、テレビの朝のニュースの音と一緒に寝室の細く開いたドアの隙間から流れ込んできました。ライ・ウノ(RAI-1)と言う番組は日本のNHK総合テレビの位置にあります。昨夜は、バッテリー切れのカメラでなす術もなかったが、その同じ光景のダイジェスト版を今まさに目の前のテレビが放映しているではないですか。主人の買い置きのバッテリーを分けてもらって、カメラは息をふきかえしました。以下の映像はテレビ画面からカメラで写し取ったものです。

やはりブログは写真がないと気の抜けたビールみたいですね。何だか元気が湧いてきました。

「信徒と共に、広場の教皇」(Il Papa in piazza con i laici)

と言う文字が画面の下に出ています。朝の番組で詳しく取り上げています。日本のNHKが靖国神社や伊勢神宮の行事を朝の番組で長々と実況解説しながら流すでしょうか。イタリアはカトリックを国教に謳ってい居るわけではありません。カトリックの教会に通っているのは国民の10%にも満たないのではないでしょうか。それでも残りの90%も違和感なく教皇の催しをテレビが流すのを何とも思わないようです。腐っても鯛。まだまだカトリックは庶民の心の底に生きているのでしょう。

アメリカ合衆国も大統領の就任式には聖書に手を置いて宣誓をします。カトリックのケネディーも黒人プロテスタントのオバマもそうしました。しかし、モルモン教の大統領が選ばれていたら、ちょっとややこしいことになっていたかもしれませんね。手を置くべき聖書が違ってしまいますからね。回教徒の大統領になったらコーランにとって代わるのでしょうか?天皇の国事行為には特に神道色は無いようですが・・・

 

 

聖ペトロ広場の真ん中の通路の突き当りの屋根のあるところに教皇フランシスコが坐るはず。



群衆の奥の方、白く左右に見える細い線が実は広場中央の通路の位置です。その向こう側の前から2列目に私はいます。午後4時からそこでじっと待っているあいだ、この画面の左奥の正面の舞台では歌や踊りや、体験談の証言などが女性の司会者によって展開されていました。教皇のお出ましは6時だと思っていたら、5時半に左右の大型電光スクリーンにパパモビレ(ベンツ製の白く塗った大型ジープのオープンカー) が写り始めました。どうやらテベレ川の橋のあたり、大群衆の中をゆっくりサンピエトロ寺院に向かってパレードしている様子。広場の中に入ってからは、あらかじめ設けられた通路を左右に移動しながら、なるべく多くの群衆の身近を通過する工夫がなされていました。私の前もゆっくり左から右に通っていきました。


 

ひょっとしたら、ヨハネ・パウロ2世が銃弾を受けて瀕死の重傷を負ったときに乗っていた車と同じではないかと言う思いが、ふと頭をよぎりました。大勢の手を身を乗り出して握り、赤ん坊を祝福し・・・、これもヨハネ・パウロ2世の姿と重なるものがありました。でも、もう教皇を撃たないで、と祈りました。


 

素朴さ、温かさ、率直でユーモアたっぷりの庶民的な姿には好感を受けました。

「皆さんはヴィーヴァ・パパ!(教皇万歳!)とか、ヴィーヴァ・フランチェスコとか叫んでいるが、ここで皆さんの歓呼を浴びて迎えられるべきは、私ではなく イエス・キリスト》 ではないですか?!と切り返した。」

私は思わず声を出して笑ってしまいました。そして、群衆の中からは、多少戸惑ったようなヴィーヴァ・ジェズー!(イエス万歳)の声も波のように起こりました。ハッとするような真実の言葉を、アドリブでこともなげにばら撒くあたりは、ヨハネパウロ2世(JP-2)とはまた一味違う。(JP-2)は温かい優しさと重々しい荘厳さが混在した男っぽい近づきがたさもあったが、この教皇は貧しさにも飢えにも寄り添ってきた庶民の近づきやすさがある。

 

この日の話からいくつかのポイントを拾ってみましょう。

「政治に倫理が欠けるなら、何でもやり放題になる。倫理の欠乏は人類にとって悪である!」

「ちょっと投資が翳るだけで、銀行は大悲劇だと騒ぎたてるが、家庭のやりくりが苦しくても、人々が飢えていても、そんなことはどうでも構わないと言うのか!?」

「わたしは貧しい人たちのための貧しい教会を望む。」(彼は中世の王侯の宮殿のようなバチカンの「教皇の舘」に住むことを拒み、簡素なアパートに住んでいる。)

「着飾った気位の高いキリスト教信者はうんざりだ! 実存的に社会から忘れ去られた人たちに寄り添う勇気こそ必要だ!」

「教会は政治的運動体でもなければ、良く組織されたシステムでもない。教会がNGO法人の一種に成り下がったら、味を失った塩にすぎないではないか!」

彼のメッセージはわかりやすく実に歯切れがいい。

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この日、この夕べ、聖ペトロ広場は100種を超える信徒の運動体のメンバーが掲げる色とりどりの旗や横断幕やプラカード埋め尽くされていました。しかし、何か変だぞこの雰囲気??? 何故って、後ろを振り向いて広場の端まで見渡しても、この種の集会ではいつもはいやでも一番目立つ「新求道共同体」の横断幕、キコの絵のプラカード、各共同体の旗やスローガンな全くない。地下鉄から広場までの道々、何人も知った顔にで会っているから、そこそこの数の兄弟が混じっているはずなのに、まるで存在の気配が消えている。何か変ではないか?

その謎が今日の昼食のテーブルで解けた。今回の大集会を組織したのは、新しく設けられた信徒の「運動体」を取りまとめるバチカンのお役所だった。私もグレゴリアーナ大学で神学の講義を聞いたイエズス会のリノ・フィジケラ教授が今は枢機卿に出世して、そのお役所の初代長官になった。彼には、新求道共同体の存在が見えていなかったのだ。彼の頭にあるのは「運動体」であって、「共同体」ではなかったのだ。その点がこれまでの教会と違った。キコは一個人として壇の下の群衆の中にはいたが、巨大な共同体組織の指導者として壇の上で脚光を浴びることはなかった。

しかし、そんなことはどうでもいい。この新教皇もキコの新求道共同体の最も信頼するに足る深い理解者であり保護者であることは、すでに疑う余地はないからです。パウロ6世の時代から、ヨハネ・パウロI世、II世、ベネディクト16世、そして今回の教皇フランシスコまで、一貫して大切にされてきた新求道共同体は、これからも着実にその使命を果たし続ける事でしょう。

 

 

コメント (3)
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