:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 〔一部補足〕 新ルクセンブルグ大司教の後日談

2014-01-28 15:00:58 | ★ 神学校の日記

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新ルクセンブルグ大司教の後日談

=新求道期間の道を導入=

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一昨年(2012年)12月25日に、

〔異例の抜擢〕 イエズス会日本管区のメンバー 「ルクセンブルグ大司教に叙階」

という短いブログを書いた。書いた後、その大司教の事は意識の表面から消えていた。ところが、今日の昼食時、神学院の楕円形のメインテーブルの対角線に座った神父の話に耳を傾けていたら、どうやら彼はケルンの大司教マイスナー枢機卿に会ってきたばかりらしかった。

そして、彼の口からルクセンブルグ大司教のオロリッシュイエズス会員(元日本管区)の話が出た。この新大司教は、新求道期間の道など第二バチカン公会議後に花開いた福音宣教のカリスマとは水と油のインカルチュレーションのイデオロギーの牙城のように私には思われた日本のイエズス会では異色の神父であったようだが、はたして、ルクセンブルグの新大司教になって以来、教区に新求道期間の道を導入し、見事に花を開かせつつあるとのことだった。

 

 

 

彼が、ケルンのマイスナー枢機卿の後ろ盾で大司教になったことは前にも書いたが、今日の食卓ではそのマイスナー枢機卿が日本の教会の事にも言及したとのことだった。

もともと、ケルン大司教区と日本の関係は極めて深かった。

その背景にはドイツの教会と政府の特別な関係がある。ドイツではビスマルクとバチカンとの協定で、カトリック信者の教会への献金は、ドイツの政府が教会に代って所得税の源泉徴収に合わせて自動的に徴収し、政府がその集まったお金を教会に納めることになっている。そのため教会税の徴収は取りこぼしが無く、極めて効率的で、そのおかげでドイツのカトリック教会は経済的に極めて豊かである。

その豊かな資金を背景に、日本の東京大司教区上智大学等には戦後ずっとかなりな額の宣教援助資金が送られてきていて、今もそれは続いている。

ところで、ルクセンブルグの教会の現状も実は全く予断を許さないようだ。昔250ほどあった教会は新しい司教が着任した時には50ほどに減少し、その後も30ほどにまで縮小せざるを得ないような実情を抱えている。

ケルンとルクセンブルグは目と鼻の先だ。マイスナー枢機卿が手厚く支援していることは想像に難くない。オロリッシュ大司教のようにマイスナー枢機卿のおめがねにかなった人物には支援の甲斐があるというものだろう。それに比べれば、日本の現状はまことにガッカリさせるものがあるというのが正直なところではないか。私は元銀行マンだった。銀行マンのセンスからすれば、宣教のために資金援助しているのに宣教が行われていないとしたら、その援助資金は何の目的に流用されているのだろう、と勘繰りたくもなる。

元銀行マンと言えば、私が一介の哲学の書生から、突如国際金融業のプレイヤーの一人になれたのは、マイスナー枢機卿のケルン大司教区のお蔭だった。当時―40年以上前の話だが―ケルン大司教区の宣教資金は、コメルツバンクのケルン支店から東京に流れていた。

私が全共闘の学生諸兄のシンパになったことの罪で上智大学の助手の職を追われた時、ヘルマン・ホイヴェルス神父(イグナチオ教会主任司祭)とビッター神父(イエズス会総会計)とチースリック神父(キリシタン史研究家)の3人の戦前から日本に宣教師として来ていたドイツ人の神父様たちが、「何も悪いことをしていないの首にされて可愛そうに」 と言って同情して、私の就職の心配をしてくれた。

当時、コメルツバンクの東京駐在事務所の所長のマンフレッド・ラッシェは、お人よしの赤ら顔の呑兵衛で、朝からアルコールの香りを漂わせていたが、ケルン教区資金の関係でビッター神父と飲み友達だった。「近い将来の支店開設を視野に、日本人の若い生え抜きを養成したいのだが、適当な候補はいないか」という言葉に、渡りに船とばかりに3人の神父連名の推薦で、国際金融業界に裏口入学した。推薦人が推薦人だったから、思想も、信条も、語学力も一切不問で採用されてしまったのだが、幸運と言えばこんな幸運な話も珍しい。

そこから叩き上げて、リーマンブラザーズまで行けたのも、時代の波の先端に運ばれた幸運のなせる業だったが、今は宗旨替えで、ローマで神父を張っている・・・

現実の歴史に、もしあの時別の道を選んでいたら、と仮定するのはあまり意味のないことだが、敢えて、もし私がイエズス会の修練院を飛び出していなかったら、今頃イエズス会でそれなりの役割を果たしていたに違いない。そして、まず間違いなくインカルチュレーションのイデオロギーの熱心な信奉者になって、新求道期間の道などの公会議後のカリスマを弾圧する動きに大いに力を発揮していたに違いない。運命とは不思議なものだ。

教皇フランシスコにしろオロリッシュ大司教にしろ、イエズス会の中では少数派と思われる人が、教会のトップの座につき、教会を指導していく姿は、感動的だ。教皇フランシスコはオロリッシュ大司教を将来枢機卿にするだろう。自分が教皇の座を去る前に、自分の後継者を選ぶ選挙人である枢機卿の過半数を自分の路線に忠実なもので固めるだろうから、第二バチカン公会議後歴代教皇の路線は今後も継承されていくに違いない。

オロリッシュ大司教の叙階に関する元のブログをご覧になりたい方はこれをクリックしてください↓

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/897e43379775f72557db0b0eb9633eae

 

と書いたが、何故かリンクがうまく張れていないようだ。短いブログなので、面倒だから下にコピーした。

 

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異例の抜擢  

イエズス会日本管区のメンバー 

ルクセンブルグ大司教に叙階

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 2006年4月1日以来、上智大学の経営母体であることで有名なイエズス会の東京都中野区若宮の司祭養成センター「三木ハイム」で責任者をしていたオロリッシュ・ジャン・クロード神父が、ルクセンブルグの新しい大司教に任命された。このニュースは小さなショックを伴って我々仲間の神父の間を駆け抜けた。 

 日本のイエズス会と言えば、元日本管区長で現総長のニコラス神父に代表されるような、インカルチュレーション路線のイデオロギーの理論的な指導集団と理解されてきた面があり、ケリグマ(福音)の告知をもっぱらとする直接宣教のカリスマの前に立ちはだかる厚い壁のように思われがちだったからだ。もしかすると、アジアだけでなく、今後はヨーロッパにもそのようなイデオロギーが伝播するのではないかと一瞬身を固くした。 

 しかし、その後伝わってきたニュースや解説はそのような不安を払拭するに充分であった。パリの新求道共同体のカテキスタのジュリアーナの話によると、彼の大司教任命の陰にはわれわれの大のお友達であるケルンのマイスナー枢機卿の尽力があったそうだ。ジュリアーナが大喜びしているという事実は、オロリッシュ新大司教が新求道共同体に対してきわめて友好的であることを示唆しているのではないだろうか。 

 この異例の人事が、今後日本の教会に対し、日本の新求道共同体の活動の上に、直接・間接に何らかの影響が現れるか否か、目が離せない。 

(終わり) 

コメント (4)
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