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忘れられた中世の町「アナーニ」への郷愁
「教皇ボニファチウス8世の屈辱」
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中世の静けさと厳かな雰囲気をそのまま残す小さな町、アナーニ "Anagni"。
ローマから白ワインの産地フラスカーティを通って南に1時間ちょっとのところだが、
観光客の姿はほとんど見られない。
小高い山の上に築かれ、エトルスク時代の遺跡と古い石畳の坂道、城壁や門の跡が残っている。
地下にはローマ時代に掘られた「秘密の抜け穴」があり、「財宝」が見つかったこもあるとか。
アナーニは「法王の町」としても 有名で、イノセント3世をはじめ4人の偉大な法王が出た。
大聖堂は1104年に完成したロマネスク様式。
霧のかかった夕暮れに見ると、まるで「ハムレット」の舞台。実際、テレビや映画のロケーションによく使われるそうだ。
内部は大理石のモザイクで飾られ、特に「法王の座」の周りはため息が出るほど美しい。
そんな町の教会の共同体の集いでミサや告白の奉仕に招かれたのが一月あまり前のことだった。
この町にも「新求道共同体」があり、一部の信者たちが「本当のキリスト教的回心と大人の信仰」を求めて
日々研鑚と宣教活動に励んでいる。
はじめて見る日本人の神父とその経歴に新鮮な興味を持ったか、かれらは今後のつながりも念頭に、あらためて招いてくれた。
ここの主任司祭は私より2歳若いが、その「司祭」としての貫禄に私など足元にも及ばない。新しい友情に感謝しなければ・・・
昼食は共同体の責任者の家で8人の兄弟と和やかに進んだ。チーズたっぷりのラザニアは写真に撮る前に胃袋に消えた。
メインは牛肉と腸詰とアートチョークだったが、勧められる量は私の胃袋のキャパシティーの倍ほどもある。
今日は朝ローマを出る時から雨模様だった。食事中にベランダが急に騒がしくなった。雨でぬれたタイルの上に
白い粒が飛び跳ねていると思ったら、ほんの2-3分で白く積もり始めた。霰を伴う春の嵐だ。
イタリア中世の町と言えば、日本人はロメオとジュリエットのヴェローナや、聖フランシスコのアシジなどを思うだろうか?
その点、観光的にはこのアナーニは全く忘れ去られていると言ってもいい。しかし、その歴史的重みは他を大きく凌ぐものがある。
ひとの気配がしない。看板もネオンもないこの町並み、観光地ならこうは行かない。
大きいガラスの明るいショーウインドーの中は、土産物屋やレストランや、アイスクリーム屋になっているからだ。
カテドラル。こういう複雑な形をしているのは、何度も増築を重ねた古い聖堂の特徴だ。
だが、内部は簡素で均整が取れていて美しい。
地下聖堂は、ガイド付きでなければ入れず、写真は禁止だったが、「地下のシスティーナ礼拝堂」の異名を誇る
ミケランジェロよりもはるかに古い時代のフレスコ画の宝庫だった。
そして、4人の教皇を輩出したアナーニは、
「アナーニの屈辱」、またの名を「アナーニの平手打ち」で有名な教皇ボニファチオ8世の事件の舞台でもある。
事件の起きたボニファチオ教皇の舘の前には、建物維持に貢献している銀行のポスターがあった。
ボニファチオ8世像
前教皇ベネディクト16世が自らの意思で生前退位するのは、1415年のグレゴリウス12世以来、
600年ぶりのこととされているが、それまでにも前例はあった。
ウイキペディアによれば、 第192代ローマ教皇のケレスティヌス5世は有徳の人であったが、「教皇の器にあらず」と在位数ヶ月にして自ら退位を希望し、夜な夜な聞こえる「ただちに教皇職を辞し、隠者の生活に戻れ」という声に悩まされた末にカエターニ枢機卿に相談したのであるが、実は、部下に教皇の寝室まで伝声管を引かせて毎夜ささやき、教皇を不眠症と神経衰弱に追い込んだ張本人はカエターニ自身であったといわれている。カエターニ枢機卿は教会法に基づいた辞任の方法を教皇に助言し、ここに存命のまま教皇が退任するという異例の事態が発生した。ケレスティヌス退任後、ただちに再びコンクラーヴェ(教皇選挙会議)が開かれ、その結果カエターニ枢機卿がボニファティウス8世としてローマ教皇に選出されたという。1294年のことだった。
アナーニの共同体に出会うまで、このボニファティウス教皇のことに全く注目していなかった私は、いま彼にただならぬ興味を抱いている。しかし、それについてはまた機会をあらためて書くのが適当だと思うので、今日はここまでにして、この忘れられた中世の町をもう少し探索しよう。
細い曲がりくねった坂道に外からは目立たない一軒の珍しい店があった。中にはこの女性が一人居た。
彼女は「リタ・トゥッリ」と名乗った。この店の女主人で、彼女の後ろの作品を全部彼女が一人で創って売っている。
手で描いた精密画ではない。世界中から集めた自然のあらゆる色合いの何千枚と言う薄板をモザイクのように貼り合わせたものだ。
観光地の土産物屋で大量に売っている廉価な類似品とは全くものが違う。一枚一枚が精緻な本物の芸術作品なのだ。
東京や名古屋で個展を開いたこともあるという。彼女が保存していた’90年の古い日本の旅行案内書にもこの店が紹介されていた。
実は、このブログの冒頭の一文はこのガイドブックの記事
「ガイドブックにも載っていない きらめくモザイクの町アナーニは まるで映画のワンシーン」
から借用したものだ。記事の中の写真の人はリタに技術を伝えた職人の父親。
彼女は教皇ヨハネパウロ2世に多くの作品を献じ、また彼から多くの注文を受けた。
私の矢継ぎ早の質問に、彼女は忍耐強く製作の手順と秘術を説明してくれた。
アナーニでただ一軒伝わるこの技術は、残念ながら彼女で永久に途絶える。彼女の一人息子は受け継ぐ意思を持たないのだ。
フィレンツェやアシジのような観光地なら違ったかもしれないが・・・、と彼女は言う。
だが、この忘れ去られた死んだような中世の町にあの子をしばりつけておくことは出来ないし、と
彼女はあきらめ顔だった。
現代の競争社会に生き抜くだけの産業も技術もなく、大方たちは信仰も希望もなく、耐えつつ、消えゆく他に道はないのだろうか?
私の今日のブログ、今回のブログのメッセージはこれです。つまり、
こんな中世からそのまま抜け出してきたような美しい丘の上の町も、世界を覆う世俗化の津波に洗われて、
人々は信仰を失い、モラルは荒廃し、お金の神様の奴隷になって、目的も希望も失って、
孤独に闇の中を彷徨っているということです。日本の1億2700万の魂と同じように。
リタがくれた工房のチラシの裏に、何年前のものか、父娘の写真があった。アッ!2人とも全く同じ目をしている、と思った。
www.tarsieturri.it を開くと次の動画が出てきた。おあとはゆっくりお楽しみを!
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(つづく)