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【報告】第45回「ホイヴェルス師を偲ぶ会」は
無事盛会のうちに開催されました。
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去る6月9日(木)曜日は、雲の間から青空がのぞく爽やかなお天気に恵まれ、東京四谷のイグナチオ教会の前の主婦会館で、予想を上回る50名の出席希望者を迎え、温もりのある追悼ミサに始まり、つづく懇親会も和やかに予定の時間を越えて無事おわりました。
第40回までは、生前のホイヴェルス神父様のお姿を記憶する世代の皆様が中心で、師を懐かしみ追憶する会だったと思いますが、あれから5年、今は「偲ぶ会」の出席者の過半数が、師を知らぬ若い世代になりました。師は決して過去の人ではない。今の時代にもその魂はひきつがれるべき人です。「偲ぶ会」は、師の存在を伝え知り、その遺徳に心惹かれ、師の宣教師としての働きに学び、自らの信仰のあり方を考え、宣教の使命を見出そうとする人々に受け継がれながら、これからも続いていくでしょう。
コロナ禍に教会が過敏に反応し、信徒がミサに参加するのを厳しく制限してきた中で、ミサに与かれる喜びをかみしめられた方もおられました。
大きい教会では集団の中に埋もれて孤独を感じ、小さい教会ではいつもの顔ぶれの閉塞感に陥りがちな中で、何か新しい風を共有する連帯感が感じられるミサではなかったでしょうか。
ミサ後の集会では、全員が一言でも思いを分かち合えた連帯感に包まれ、つぎの展開への期待に満たされて、別れを惜しみながら解散しました。
参加者一同をご自分の名のもとに呼び集め、見守って下さったホイヴェルス神父様に心から感謝したいと思います。
信者も司祭も高齢化し、減少し、若い人々は教会に寄り付かず、日々生気を失いつつある教会の現状を打開することは急務です。しかし、福音宣教の明確な指針は示されず、行動への参加の呼びかけも聞こえて来ない現状を打開するために、底辺から、宣教とは何か、何ができるか、何を為すべきかを考え合う場としての「偲ぶ会」には大切な使命があると考えます。それこそホイヴェルス神父様が私たちに望み、期待しておられることではないでしょうか。
今回の「偲ぶ会」では、初代の聖イグナチ教会を記憶する信者さんから、懐かしい写真や絵の数々が寄せられました。そのうちの2枚をご披露いたしましょう。
在りし日の聖イグナチオ教会 ホイヴェルス神父様が初代主任司祭になられた時に建てられた。今の楕円形の聖堂は旧聖堂の前のソテツの樹のある広い芝生のあたりにある。(これは写真ではなく絵です。)
聖イグナチオ教会の内部。私はこの祭壇で毎朝7時にホイヴェルス神父様のミサの侍者をするのが日課でした。