:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 最後の徹夜祭

2024-04-07 00:00:01 | ★ 復活祭の聖週間

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最後の復活徹夜祭

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 私は前回のブログ〔「菩提樹」西の故郷、東のふるさと(そのー1)〕の最後に「なぜ私が急にマカオへ行く気になったのか、気になりませんか。それは、次回のブログ「菩提樹」(その-2)であらためてお話しすることにいたしましょう。」と書いたのに、復活祭を目前に、その他の事情も手伝ってなかなか筆が進みませんでした。そして、とうとう今になってしまいました。それで、「菩提樹」(その―2)は後回しにして、ひとまず復活祭風景を描いてみましょう。

 今年の復活の徹夜祭は、3月30日(土)の深夜に、東京の八王子大学セミナーハウスでおこなわれました。深夜の11時過ぎに始まって31日未明の4時半ごろまで、ほぼ5時間の長丁場でした。普段は夜は寝かされる子供たちも、この日ばかりは、昼寝をたっぷりさせられて、夜通し起きて過ごすことになります。

 ああ、これが東京での最後の徹夜祭になるのか、と思うと万感胸に迫るものがありました。真っ暗闇にまず復活のローソクに火をともし、そこからみんなが次々と手元のローソクに火を移していく光の祭儀は、世の救い主、神の子キリストによってもたらされた信仰の火が人々の心に伝えられ広まっていくのを象徴しています。とても神秘的な沈黙劇です。

 その中を、キリストを象徴する復活の大ローソクを高く掲げた私は、「キリストの光 ♫」と歌うと、一同は「神に感謝 ♫」と歌って答えます。それを音程を上げて3度繰り返しながら、私は会衆の中をゆっくりと進みます。

 

 

 その後、救いの歴史をたどる、新・旧約聖書から取られた長い九つの朗読が続きました。先ず創世記第1章「天地創造」に始まり、アブラハムによる息子イザクの生贄、出エジプトの物語、イザヤの予言、エゼキエル書、・・・パウロの書簡、そして福音朗読まで・・・

 

 

 交代で読まれる朗読のあいだ、後ろに座っている私の姿は、このアングルでは朗読台と祭壇の上のローソクの間にちょっと見えるだけで、ほとんど隠れています。この夜、福音だけは、私が朗読台からメロディーをつけて歌います。

 

薔薇.jpg

 その後、毎年の復活徹夜祭の慣例にもとづいて、今年も満1歳前後の3人の赤ちゃんの洗礼式が行われました。

 

 

 素っ裸の赤ちゃんを高くかかげ、私は、父と、子と、聖霊のみ名によって、あなたに洗礼を授けます」、と叫びながら、ザブーンと勢いよく赤ちゃんを3度水に沈めます。今年は3人とも泣かなかった。洗礼盤を取り囲んでそれを眺める子供たちは、大喜びではやし立てます。ちょっと大きな女の子たちは、私も赤ん坊の時あれをやられたのかと想像して、恥ずかし気です。洗礼は罪に汚れた古い人間が水に沈められて死に、復活の命を身にまとって新たに生まれることを象徴しています。ただ額に水を注いで清められるだけではありません。私の後ろには先ほど火を灯したばかりのま新しい復活の大ローソクが。

 それにしても、もっといい写真があるかと思ったが、最近はみんなスマホで動画を撮っているので、私がブログで扱える静止画像をくれる人はほとんどいませんでした。

 金曜日の午後3時から徹夜祭が終わる日曜日の未明まで断食していた一同は、ラマダン明けの回教徒さながらに、持ち寄りとケータリングのご馳走のアガペー(お食事会)でお腹を満たし談笑し、夜が白むころ、キリストの復活の確信と喜びに満たされて三々五々家路につくのでした。これぞ、キリスト教信仰の原体験というべきでしょう。

 さて、来年、私はどんな復活祭を祝うことになるのでしょうか。

薔薇.jpg

コメント (1)
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