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【速報】 キコ=カルメンの後継者を選ぶ(そのー2)
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先の【速報】ブログとの関連で、私には言いたいことがありました。それをブログの末尾に簡単に要約して添えればいいと考えて、「1時間後にもう一度戻ってきてください」、などと軽口をたたいてしまいました。
しかし、いざ書こうと思うと、私の思いは根深く、1時間やそこら、10行や20行で簡単に纏められるものでないことに気付き、結局すぐにフォローすることをあきらめてしまいました。
今、広島に向かう新幹線《のぞみ》の車内で時間があるので、あらためて自分の思いをまとめてみようと思い書き始めたのですが、果たして広島までに書き終えられるでしょうか・・・。
私は、カルメンが逝った日、カルメンの死のニュースが世界を駆け巡ったこと、フランシスコ教皇がマドリッドの司教座大聖堂で執り行われたカルメンの葬儀に弔文を寄せたこと、葬儀の模様が世界中のテレビで同時中継されたことをブログに書きました。
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/2ef3d4b7e0fb34b87ef0026f817217cc
その翌日、教皇がポーランドで開く世界青年大会に参加するために、中継地モスクワに着いた日、モスクワの大聖堂でもカルメンの追悼ミサが行われ、私も参列したことも、すでにブログでも報告しました。
http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/8a9ec160f19de0a7b0306e93bf257e07
ところが、この世界的なニュースが日本では全く報じられませんでした。それは、日本の社会がキリスト教世界の動きに全く無関心だから当たり前といえばそれまでです。
しかし、日本のカトリック教会の中でも全く話題にならなかったのはなぜでしょうか。私が問題に思ったのはその点でした。
ラジオでもテレビでも、それが受信できる周波数帯、チャンネルは決まっています。日本の教会をそれに例えると、どうやら世界の教会のスタンダードでグローバルな周波数帯の大切な部分を、日本の教会の受信機はカバーしていないらしいのです。カルメンの死のニュースが日本の教会に届かなかったのはそのためだと思います。
では何故周波数が偏しているのか、どの部分が届かないのでしょうか。それは、第2バチカン公会議後にカトリック教会が採用したグローバルスタンダードに日本の教会の周波数帯が適合していないことと関係があるようです。
それだけではありません。日本ではある特定の周波数帯を受信しないようにあらかじめセットされているように思えます。それは、キリシタンご禁制・鎖国以来、とりわけ戦中、戦後の頃から、日本のカトリック教会を支配してきたある種のイデオロギーのせいではないかと私は考えています。
日本の土壌、日本の精神風土に外来宗教、特にキリスト教は合わない。移植しても日本の土壌では根が腐って枯れてしまう。特に、第二バチカン公会議後に花開いたカリスマは、日本の教会の実情に合わない。それを取り入れると教会は分裂し崩壊してしまう。日本には、日本の土壌に合う固有の在り方があって、それ以外の形のものは日本の列島の水際で阻止されなければならない、という、カトリック教会自身の中に深く根を張ったイデオロギーです。そして、それと軌を一にしているのが、インカルチュレーション(土着化)のイデオロギーです。キリスト教を換骨奪胎して、仏教や神道のような日本古来の伝統宗教と調和するものにキリスト教を組み替えなければ、日本には土着化できない、と言う考え方だと言えるでしょう。「南無阿弥陀仏」に準じて、「アッバ、アッバ、南無アッバ!」というような祈りを、大真面目に教会の中で唱えようとする、などがその好例と言えます。
私は、もう一つのわかりやすい例として、映画「沈黙」の世界に現れたイデオロギーをこのブログでも詳しく取り上げました。
【ブログ】聖書から見た「サイレンス」(1)~(7)
(2017.01.27.~04.25.)
遠藤周作の世界は、聖書と伝統に根差した「神学」ではなく、文化論と自由な小説家の創作に基づく典型的な「イデオロギー」です。
このイデオロギーの最も大きな問題は、同じ言語、同じ言葉が異なる周波数の世界では違う意味を持つと言う点にあります。具体的に言えば、グローバルな世界で「福音宣教」というとき、同じ言葉は日本の教会社会では全く別の異なった意味を持つということです。
昨年の九月、福音宣教省の長官フィローニ枢機卿が、フランシスコ教皇の日本の教会宛ての親書を携えて来日したときに起こった例を見るとよくわかります。
フィローニ枢機卿は、教皇と異口同音に「日本の教会は新しい福音宣教に励まなければならない」という意味のことを強調されましたが、日本の教会はその同じ言葉を「日本の教会は新たに福音宣教に励まなければならない」と聞いてしまったのではないかと思います。それは「新しい」を「新たに」と取り違えた、通訳の誤り、翻訳上の誤りというような、表面的・技術的問題ではありません。それは、イデオロギーに基づくフィルター効果というか、思考回路の産物と言ってもいいかもしれません。
その結果、日本の教会は、かつて頑張ろうとしたがうまくいかず、とっくに投げ出してしまっていた古典的「福音宣教」のスタイルを復活し、それを新たに再構築し、推進しようという方向に向かう恐れがあります。いったんは廃止した委員会を「新たに」掘り起こし、再び同じ土俵で会議を重ねようという方向です。
問題は、それがフランシスコ教皇の親書に託され、フィローニ枢機卿が提唱した方向とはまったく違うという点にあります。教皇が、そして世界の教会が 、 「新しい」福音宣教というとき、それは、第2バチカン公会議後にその果実として生まれた全く新しいタイプの諸カリスマを受け入れ、それを神の聖霊の働きとして認め、それに将来の教会の福音宣教を託そうと言う趣旨のものです。
ですから、それらの新しいカリスマを排して、休眠していた旧来の宣教路線に戻ろうとするのは、教皇やフィローニ枢機卿のメッセージに180度反対するものであることに、私たちは早く気付かなければなりません。
それを妨げているのが「日本の文化、風土を特殊なものとして捉え、キリスト教をそれに土着化させ、脱西欧化を追求しなければならない」と言うイデオロギーです。このイデオロギーは聖書に根差さず、教皇の教えも合致していません。
幸いにも今、わたしたちは一時教会で支配的だったイデオロギーが勢いを失い、教会が外に向かって開かれ始めた変化の兆しを見ています。日本の教会はようやく自らの送受信機の周波数帯をグローバルスタンダードに合わせようと言う機運が芽生え始めたのを感じます。長い困難な時代は間もなく終わろうとしてると思うのです。
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私はカルメンの没後、ローマに居てキコの様子を見守ってきましたが、彼は大きな喪失感の中で深く落ち込んでいたように私には見受けられました。それは、彼がカルメンを深く愛し、彼女を頼りにしていたからでしょう。
彼はカルメンの墓の隣に、自分が死後入るはずの同じ形の墓を造りまし。彼は聖パウロのように、早くカルメンのもとに行きたいという思いと、まだ地上で果たさなければならない使命との間で葛藤しているのだろうと思います。
聖教皇ヨハネパウロ2世の勧めで起草され、教皇ベネディクト16世が最終的に承認した新求道共同体の「規約」34条2項によれば、「前項にあげた2名の創始者(キコとカルメン)の1名が死亡した場合、・・・欠員補充の手続きを行う。」とあります。
しかし、カルメンの亡き後、ぽっかりと残された大きな空洞を埋めることの出来る者は誰もいないでしょう。事実、キコは新求道共同体の数名の女性をその候補として検討した様子がうかがえました。しかし愛するカルメンの代わりになるほどの女性を見出し得なかったとしても不思議ではありません。
とは言え、教会の承認した「規約」の文言には重みがあります。暫定的ながら、今回の後任の選定と共に共同体は新しい時代に入ったと言えましょう。
カルメンの後任に選ばれたマリア・アスセンシオン・ロメロ
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このブログの原稿は、やはり新幹線の中で書ききれませんでした。旅先で、二晩がかりでようやくここまで書きました。まだ書ききれていませんが、残りはまたの機会に譲ります。
ここまで書いてふと見ると、広島は雪景色でした。
(つづく)
この恵み?環境の中 南山教会、天理教本山に触れる機会が 日本人の真髄?神髄?キリスト教の姿と言うか 神様を信じる姿は私の内を叩きました。天理教本山では若者達、学校帰りの制服姿で祈る姿はとても美しいものでした。
キコさんについては 良く分かります。大切な人を失った痛手は~私は10年近く経っても とても寂しく、恋しい!
私が所属している教会でお世話になっている神父様は、あるミサの時に、教皇様のことば、『教会はその起源から普遍(カトリック)であり、『出掛けて行き』、宣教する存在です』」、を強調して話されました。また、比較的近くにある女子の観想修道会が主日のミサを公開するようになったことを最近知りました。
多くの方がイエス様と出会えますように。