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キ コ の 壁 画 が 出 来 る まで (そのー4)
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そのー3 を書いてから、ひとつ「マチェラータの神学校訪問」を挟んだが、キコの壁画の完成までを書き終えておいた方がいいと思った。
部分、部分が仕上がっていく。どれもどこかで見たような絵だ。ちなみに、この絵は受胎告知(じゅたいこくち)だが、新約聖書に書かれているエピソードの1つ。一般に、処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってイエスを身ごもることを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。
キコはそれを東方教会の伝統に近い様式で描いている。私は、個人的にはフラアンジェリコの最高傑作とも言われるフィレンツェのドミニコ会修道院の階段を上がった突き当りにある受胎告知が一番好きだが、キコのも悪くない。
その右はキリストのベトレヘムでの降誕の絵だが、これも東方教会の伝統様式にのっとり、嬰児キリストは飼葉桶ではなく、死者の棺桶にミイラのように布で巻かれて横たわっている。キコの弟子たちは、キコが以前に全部一人で自筆で描いた同じモチーフの絵の忠実な模写として描き、キコはその中の主要人物の顔などに手を加えるだけにとどまる。
完成が近付いているのがわかる
ある日、私は絵の足場に上るための移動式エレベータに乗せてもらった。この写真は上昇中に途中で撮ったものだが、ガクンと小さいショックと共に止まった最高点から下をのぞいた時は、高所恐怖症とは無縁のはずのわたしでさえ、いささか体がこわばった。
足場が取り除かれた。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの最後の審判の絵はこれよりわずかに小さいが、彼がひとりで6年かかかって描き上げたものだった。ところが、キコの手法にかかると、正味半年もかからずに完成している。ルネッサンス期のものと、東方教会のイコン画様式のキコの画とではそこにも大きな違いがあると言える。
ところで、キコの画の作成過程で、私には初めから大きな技術的疑問が一つあった。それは上の写真の左にも映っている移動式エレベーターのことだ。キコの画が書かれる前から増築作業に必要だったから聖堂の中に二台入っていて、画の作成過程でも大いに活躍した。私も一度それに乗せてもらったことは先に触れたが、絵が完成したら一体どうなるのだろうか、不思議でならなかった。細首の壺の中の餌を握った猿の手が抜けなくなるように、大きな開口部の無いこの聖堂からこの大きな塊はどうやって出ていくのだろう?まさか分解して小さな部分に分けて担ぎ出すのではなかろうに・・・
ところがある日、職人たちが妙なことを始めるのに気が付いた。大壁画の左右と上辺には、採光用と外の自然の借景をかねて大きなガラス板がはめられている。その右側の最下段のガラスに8個の巨大な吸盤が吸い付いた。エレベーターはどうやら自走してガラスを外したその場所から外に出るらしいことがわかって納得した。
大任を果たして無事外に出たエレベーター。ご苦労さん。
バチカンのシスティーナ礼拝堂の祭壇画、ミケランジェロの最後の審判は、ルネッサンス期の人間中心主義、3次元の遠近法を使った写実主義により、画家の天才的個性を前面に出した自由な絵画だった。だから、同じものはこの世に二つと存在してはならないものだ。また復活したキリストは、筋肉モリモリの青年像として描かれているが、そこからキリストの聖なる内面性は伝わってこない。
それに対して、キコの画は頑固に11世紀までのイコン画の基本に忠実に、神中心主義、非写実的に様式化され、画家の個性を消して、二次元描写と逆遠近法の手法に徹し、信仰と職人的技術を身に着けた弟子たちによって、キコの没後も末永く世界中で描き続けられるように計画されている。
出来上がりは、キリストの受胎告知から聖母の被昇天まで、キリストの生涯の主な出来事を回りの14枚の絵に表し、中心の上段には世の終わりの再臨のキリスト、下段には三位一体の神を描いた、曼荼羅形式をとっている。
完成した自分の画を孤独に見つめるキコの後ろ姿
早耳で、完成を知って取材に来たテレビ局のインタビューに答えるキコ
午後の日差しが受胎告知を照らしている。
(つづく)
(あと1回でこのシリーズは終わる予定)