:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 懐かしのベルリン、今・昔 (その-3)

2015-02-10 16:45:13 | ★ 日記 ・ 小話

 

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懐かしのベルリン、今・昔 (その-3)

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何時間寝たか。日の出と共に目覚めたときには、野ウサギたちはもう穴に帰っていた。

二人とも冷静さを取り戻していた。どちらからともなく謝って和解すると、関係はそれまでよりずっと親密になった。人の気配が始まる前に朝の冷気をついて学校を後にした。公園の水道の水を腹いっぱい飲んで朝食に代えた。

臨機応変にヴァリエーションが加わるにせよ、平和のあいさつに始まって、「神の国は近づいた。回心して福音を信じなさい!」と告げるのがこのミッション(宣教)の核心になる。毎日それ以外にすることがない。

相手は一律にカトリック教会を預かる主任司祭たちだが、反応はまちまち。嫌悪の情をあらわにして我々を拒む神父から、適当にあしらってバイバイの人、生真面目に対応して受け入れる司祭まで、10人十色だった。ひもじい日もあれば、お腹いっぱいの日もある。夜は何とか工夫して寒さをしのぐが、まともにベッドに寝られることはなかなか期しがたい。

その日の午後も足を棒にしたが、まだ夕闇には届かない中途半端な時間だった。町の周辺の教会は互いに離れている。疲れは溜まってきたし、今日はもうこの辺でおしまいにしたいのだが・・・と期待しつつ教会の呼び鈴を押した。

紋切り型の「平和の挨拶」は無事パスした。玄関のやや長い立ち話もスムースだった。修行のためとは言え、いまどきバカ正直に聖書に書いてある通り「福音を告知」をするために、一銭も持たずに遠路はるばるイタリアからやってくるなんて実に奇特な話だ。まあ、冷たいものでも一杯飲んで休憩していきなさい、と応接間に通してくれた。期待したビールではなく、ジュースとビスケットが出た。

通訳に徹し、光男君を話の輪に加え、3人で対話する形に持っていくほどに私も成長していた。相手の神父がいい人だということはよくわかったが、さりとて話が盛り上がり熱が入るというわけでもなかった。何となくこの辺が潮時かと察して、暇乞いをして教会を出た。

二人で顔を見合わせて、さて、これからどうしよう?時計は6時頃を指していた。市の中心に戻って、浮浪者向けの炊き出しの列に並ぼうか、もう一軒教会を訪ねて運を試そうか。地図を見ると一番近い教会は4キロほど離れていた。7時前には着くかな?という感じだった。光男君も逞しくなっていて、もう一軒試すほうに同意した。

二人の関係はもうささくれ立ってはいなかった。行くほどに日はとっぷりと暮れ、郊外の集落の窓々には団欒の灯がともりはじめた。マッチ売りの少女も、寒さに凍えながら、あの明かるい窓の中を切ない思いで覗いたにちがいないと、ロマンチックな気分に浸るころには、遠くに司祭館の灯が私たちを招いていた。

ピンポーン♪!すぐに中から戸が開いて、笑みを湛えた赤ら顔の神父さんが迎えてくれた。

「主の平和が神父さんと共に・・・」と言い終わらないうちに、「いいから、いいから、さあ入んなさい。外は寒いから早くドアを閉めて。」「遅かったね、待っていたんだよ。もう温かい食事の準備はできている。手を洗うかい?トイレはあっちだ!」

「????!」これは一体何の冗談だ?!思わず光男君と顔を見合わせた。神父は満面に笑みをたたえて、手を揉みしだきながら我々を眺めている。

「神様!サプライズもいいけれど、あんた、これちょっとやりすぎじゃないの?」と心の中でつぶやいた。

暖炉の前のソファーに落ち着いた。平和の挨拶も、神の国は近づいた・・・、も省略。とにかくまずは乾杯!晩秋のベルリンでも、温かい部屋の中では、最初の一杯は冷たいビールがいい。

「私は日本人のジョン、こちらは光男君。イタリアから列車に揺られ、マルコ福音書の6章にある通り、イエスが弟子たちを二人ずつ、パンもお金も持たせずに町や村に宣教に派遣した故事に習って派遣されてきました。まず平和の挨拶をして、それから・・・。」 

「うんうん、それはわかっているよ。ところで今日で何日目?ほう、それで、あんたたちの勧めを聞いて改心した神父が一人でもいたかね?」

「ん?」と一瞬返事に詰まった。「さあ、それはまだ何とも・・・・。」

「それがいたんだよ、一人!」

「ん?」とまた詰まった。

「いや、実はね。一時間ほど前に電話が鳴って、友達の神父が言うには、『一風変わった二人のアジア人がやってきて、これこれ、こういうことだった。真面目な連中だとは思ったが、深く関わったら面倒なことになりそうだと思ったものものだから、努めて距離を置いて応対していたら、そのうちあっさり辞してどこかへ行っちまったのさ。ところが、送り出した後で急に気が咎め、もしかしたらあれは神様から送られてきた天使たちで、大切なメッセージを持ってきたのかもしれなかったのに・・・と、何とも後味が悪くて考えたんだが、この日暮れの寒空に、まだ行くところがあるとしたら、多分君のところかもしれないと思ったわけさ。だから、もしも来たら車に乗せて送り返してくれ。後は自分が何とかするから』と・・・。」「それで言ったんだ。『わかった。だが、もし来たら私が面倒を見よう。いま時、良い知らせを持って天使がやってくるなんて話、めったにあるものじゃないからね』と返事したわけさ。」

「神様、あんたなかなか粋なことをするじゃない?!それにしても短足にジーパンをはいた肌の黄色い天使なんて絵にならない」と、また独りごと。

さっきの神父は別れたあとで回心した。そして、この赤ら顔さんは会う前にもう回心していたなんて・・・。

その夜はベルリンに来て以来の人間らしいひと時になった。暖炉に燃える火は私の野尻湖の隠れ家のそれといずれ甲乙つけ難かった。美味しいドイツワインは白と相場が決まっている。炙(あぶ)った豚肉にはポテトサラダが似合う。

話は極めて真面目なものだった。

もともと日本は「人格神」不在の自然宗教の世界で、戦後天皇が人間宣言をして以来、日本には「生ける神」への信仰は完全に消滅した。日本列島に生息するエコノミックアニマルが跪(ひざまず)き額を地に擦り付けて拝んでいる唯一絶対の神は「お金の神様」だ。古代オリエントの言葉ではこの世で最も力ある、「マンモンの神様」、別の名を「悪魔」という。

おかげで、日本はドイツを抜いて奇跡の経済成長を遂げた。それに驚いた西欧社会は、追いつき、追い越せとばかり、日本の模倣に走った。それは、生ける神を殺すこと、キリスト教の信仰を脱ぎ捨てて、マンモンの神様を拝むこと、だった。親はもう教会に行かない。生まれた子供には洗礼を授けない。それが劇的に進んだのは「壁」崩壊後の東ベルリンだったが、無神論の共産圏にいた間は信仰を守り続けていた東欧諸国の善良な市民たちも、今は皆それに倣っている。

そのような世俗化とグローバル化に敢然と立ち向かっているのが「キコ」と呼ばれるスペイン人のカリスマ的一信徒と、それに従う集団だ。私たちはその中からベルリンまでやってきた。ここ半世紀、歴代のローマ教皇はカトリック信仰の復権を託することのできるほとんど唯一の懐刀として、この運動を大切に庇護してきた。云々。

神父はじっと聞いていたが、自分もその運動に是非触れてみたいものだと真剣に言った。私はそのとき自分のベルリンでのミッションは具体的な成果を見た、と思った。

その夜は、ツォー駅に降り立って以来、初めてシャワーを浴びた。着の身着のままではあったが、体に染みついた浮浪者特有の饐(す)えたようなあの独特の臭いは消えたように思えた。

清潔なシーツの柔らかいベッドに入って天井を見ながら思った。もし、光男君が街に帰って炊き出しに並ぼう、と言っていたら、僕はきっと彼の言う通りにしていただろう。そして、二人の神父の好意は空しくなっていたにちがいない・・・などと考えるうちに、安らかな眠りに落ちた。

(つづく)

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