:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 日本版 「100 の広場」(原宿)

2015-04-29 00:22:47 | ★ 現代カトリックの宣教「100の広場」

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日本版 「100 の広場に飛び出そう」(原宿の場合)

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爽やかな日曜日の昼下がり 忙中閑あり もう長い間足を向けたことの無い表参道の散策と洒落こんだのだが・・・

原宿の駅は臨時改札を出るだけで一苦労 大変な人出だった

 

何となくセンスがいいと言うか 長野や四国とは一味違うな と思った

 

海水浴場でもあるまいに 恥ずかしげもなく と言うが そんな恰好がかえって調和するから不思議だ

 

 

しかし 歩くほどに そのコスチュームがだんだん過激になっていくではないか

決して仮装行列ではないのだ 仮面のカノジョ じっと私を見ている

 

半世紀時間をバックして 昔よく行った竹下通りに足を向けてみたが 歳末のアメ横よりもひどい人ごみだった

 

  

竹下通り 15分で抜けられると思ったのが浅はかだった

代々木公園の入り口に着いたときは 約束の時間に15分遅れ もう知る人は誰もいなかった

代わりに おへそのお姉さんが敬礼して迎えてくれた

 

公園の小道は人の行列だが 芝生の上はのどかなものだ 花みずきの花が満開だった

 

カセットテープの音楽に合わせてぴちぴち踊る やや太めのお嬢さんたちは すっかり汗をかいていた

 

あ、居た居た! 頼みの携帯電話が誰とも繋がらず 絶望して広い公園をひたすら彷徨い歩くこと1時間 やっと見つけたようだ

地面に広げられたキコの絵と スローガンの言葉 ギターのケースなどがそれを物語っている

しかし サボっている青い目の子供たちがちらほらいるだけで 誰も何もやっていない 

どうやら 二人ずつ組になって散って 歩行者や 芝生にビニールシートを敷いて寝そべっている人たちに

声掛けをして 「キリストは復活した」とか「神様は貴方を愛しています」とか

聖書の一句を語り聞かせたり ギターの弾けるものは 流しの聖歌の弾き語りをしたり・・・

 

置き去りの乳母車の中には 幼い子が平和に眠っていた 誰が看ているのだろう?

僕が悪いやつで この子をさらっていったら テレビで大騒ぎになるだろうな と思った 

 

やがてのことに 三々五々戻って来て これから原宿駅の方面に移動して解散することになった

十字架を先頭に 横断幕が続き その後ろに ギターが3-4本 チャランゴ タンバリンなどに合わせてキコの讃美歌を歌う

一見するところ 外国人ばかりのようだ 日本人の若者や娘たちもいるのかも知れないが

回りを行き来する人たちと区別がつかず 景色に融け込んでしまっているのだろうか・・・?

目につくのは 歴代のローマ教皇によって 過去20年間に直接日本に派遣されてきた宣教家族とその子供たちだ

つい先日 教皇フランシスコによって日本に派遣された数家族は ビザの取得中で間に合ってはいないだろう

 

2~30人の大きな外国人集団が 十字架を先頭に代々木公園を歌いながら練り歩くカトリック信者の街頭行動に

公園を訪れた外国人観光客が目を見張って振り返っていた

 

公園の出口の手前で一行は止まった そしてギターに合わせて輪になって踊り始めた いつものパターンだ

 

貧しい集団だから 高価なアンプやスピーカーや電気メガホンすら持っていない

そこここのロックやフォークのグループの大ボリュームにに負けまいと 声がかれるまでみんなで歌った

 

そしたら 一人のコスプレのお姉さんが 飛び入りで踊りの輪に入ってきた とんだハプニング

 

ゴム風船でアッと言う間の早業で 器用に色んなオブジェを作るおじさんも 仕事の手を止めたやってきて

宣教家族の女の子に 立派な風船飾りをタダでプレゼントしてくれた

 

世俗化した現代社会に頼りげなく漂う10億のカトリック教会では 若者は失望して外へ飛び出し 老人たちは急いで天国に旅立つ

去るもの追わず 来る者拒まずと おっとり構えていては 待っていても誰も来てくれなくて

教会は衰退の一途をたどる他はないと看破した聖教皇ヨハネパウロ2世は

「道路に出て、広場に行って、声を張り上げて福音を告げ知らせなさい!」

と、全世界の全て信者に呼びかけ 積極的に宣教家族を世界に派遣した

教皇ベネディクト16世も宣教家族の派遣を拡大して継続し

特に復活祭の後の50日間 ローマでは100の広場で 世界中でも都市のあらゆる広場で

直接ひとびとに語りかけて福音を伝えなさいと命じた

この命令はすべての信者 すべての司祭 すべての司教・枢機卿に向けられたもので 例外は無い

聖教皇ヨハネパウロ2世は これからの宣教の最前線は

独身の司祭や修道者ではなく 子供たちを抱えた普通の生活人信者 宣教家族が担うべきもの と歴史を看破した

彼らはその教皇に直接派遣されてやってきて いま代々木公園で宣教している

誰も止めることはできない どのような教会の権威もそれを制止してはいけない その権限もない

彼らが権限を有するのは 使徒のかしらの後継者 つまり 教皇の意思と望みにピッタリ一致している限り と言う制約が付いている

派遣されてきた宣教家族は その大勢の子供たちに信仰を伝える権利と責任と義務を神から与えられている

その基本的人権 神の掟に基づく行為を 誰も妨げ禁じることは許されない

彼らが宣教することを抑えたら 代わって路傍の石が叫ぶだろう

日本の憲法は信教の自由を高らかに謳っている

代々木公園の警備員も警察も一切干渉してこなかった

あるカトリックの要人は

「私は長い辛い迫害を忍んだキリシタンの末裔だ」

「私は純真で善良な信者たちを迫害し苦しめることだけは絶対にしたくない」 と言われた

私は痛く感激した 

 

 私はすでにローマでの「百の100の広場に飛び出そう」について、3編のブログを書いた

興味のある人は下をクリックして覗いてみてください

 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/0c8f519565b6693d54ac0b6d5d94da6c 

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/5a1506a11996016b66cecc9a052ce5ef

http://blog.goo.ne.jp/john-1939/e/dd5b401c3ec3c8fe7f083eea574a9d27 

 

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3 コメント

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カトリックも街に出てるんですね。 (やすモン)
2015-04-29 11:03:40
はじめまして。ブログランキングからやってきました。
カトリックは幼児洗礼組が多いせいか、宣教活動に熱心じゃないよなぁって、プロテスタント教会と関わっていたカトリックの私はいつも思っていました。

パパ・フランシスコは、特に街にでて宣教しなさい!って言われていますが、前の前のパパ様達からの活動なんですね。

ブログに書かれているように、宣教活動に熱心な人々もいるんですね。一瞬プロテスタントの団体さんかと思いました。

日本人はカルト宗教にハマっちゃう人に「うげ~」っと思ってしまうせいで、街頭宣教は難しいでしょうが、一人でも多くの人がみ言葉を知り、教会に行って救われるといいですね。

私のブログでも、典礼も良くわかってないけれど、イチ信徒として感じた、思った、イエス様との関わりを書いています。それで教会に興味を持つ人がいたらいいな・・・という思いで。
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Felice&Buona Pasqua (MG)
2015-04-30 12:32:56
神父様、
ご帰国中でしたか?
26日のバチカンの司祭叙階式で、
神父様の神学院からも叙階された方がいるようですので、速報があるものと楽しみにしていたところでした。
YouTubeで叙階式見ながら、
神父様の姿を探していましたが、
日本にいらしたのなら見つからないわけですね。笑

代々木公園は毎日素通りしていますので、
行ってみたかったです。
返信する
救いと宣言 (新米信徒)
2022-05-03 09:56:05
神父様 

昨日 (02/05/2022) の「教会の祈り」の「朝の祈り」の短い読書で、ローマ10・8b-10 を読みました。「毎日の読書」の教父のことばを読んでいるような感じがしました。イエス様がいつまでも私たちともにおられる、ということと上の箇所は大切なことだと感じました。

上の記事から、街での人への宣教は、その時の状況やまわりにいる人をみて工夫しなければいけないと感じました(根本は不変であるはずですが)。固定化されたようなものにはならないと感じました。
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