静岡天満宮(しずおかてんまんぐう)。祭神:菅原道真公。
場所:静岡市葵区呉服町1-1(当神社HPによる。実際には中町にある。)。県道27号線(井川湖御幸線)と県道208号線(藤枝静岡線)が交わる「中町」交差点の南西、約90m。駐車場なし。
創建時期は不明。というのも、社伝によれば、もともと安倍川が静岡平野を東に流れていた頃、その中洲に大きな石があり、これを「川中天神」といった。この場合の「天神」は天津神の意味である。しかし、その後(平安時代末期)、菅原道真公の天満天神信仰と重なり、天満宮となったという。
なお、鎮座地の「中町」は、江戸時代まで「四ツ足町」と呼ばれていたのを、四足獣を連想させ印象が良くないということで改めたもの。しかし、本来は「四脚御門町」であり、「駿府城」の四脚門(門柱の前後に控柱を2本ずつ、合計4本立てた門で、正門に使われることが多い。)があったことによる。この四脚門は「今川館」のもの(一説には「駿河国府」のもの)という、由緒ある地名だったとされる。そして、菅原道真公の三男の菅原景行は駿河権介に左遷され(「介」は国司の次官であるが、「権介」は員外官で、実質は流罪だったとみられる。)、当神社では、菅原景行は一時、この地の付近に住んだのではないかとしている(境内に「景行社」もある。)。
社伝の由緒によれば、当神社が式内社「中津神社」の論社とされてもおかしくはないように思うのだが(因みに、式内社「中津神社」とされる「住吉神社」(静岡市葵区一番町)は、当神社の西、約500mのところにある。)、そういう話は聞かない。
静岡天満宮のHP:http://www.shizuoka-tenmangu.jp/
写真1:「静岡天満宮」正面。鳥居は梅の木に覆われている。
写真2:社殿。社殿の脇(向かって左側)に菅原景行公を祀る小祠「景行社」がある。
写真3:境内にある「川中天神伝説之地」の碑
場所:静岡市葵区呉服町1-1(当神社HPによる。実際には中町にある。)。県道27号線(井川湖御幸線)と県道208号線(藤枝静岡線)が交わる「中町」交差点の南西、約90m。駐車場なし。
創建時期は不明。というのも、社伝によれば、もともと安倍川が静岡平野を東に流れていた頃、その中洲に大きな石があり、これを「川中天神」といった。この場合の「天神」は天津神の意味である。しかし、その後(平安時代末期)、菅原道真公の天満天神信仰と重なり、天満宮となったという。
なお、鎮座地の「中町」は、江戸時代まで「四ツ足町」と呼ばれていたのを、四足獣を連想させ印象が良くないということで改めたもの。しかし、本来は「四脚御門町」であり、「駿府城」の四脚門(門柱の前後に控柱を2本ずつ、合計4本立てた門で、正門に使われることが多い。)があったことによる。この四脚門は「今川館」のもの(一説には「駿河国府」のもの)という、由緒ある地名だったとされる。そして、菅原道真公の三男の菅原景行は駿河権介に左遷され(「介」は国司の次官であるが、「権介」は員外官で、実質は流罪だったとみられる。)、当神社では、菅原景行は一時、この地の付近に住んだのではないかとしている(境内に「景行社」もある。)。
社伝の由緒によれば、当神社が式内社「中津神社」の論社とされてもおかしくはないように思うのだが(因みに、式内社「中津神社」とされる「住吉神社」(静岡市葵区一番町)は、当神社の西、約500mのところにある。)、そういう話は聞かない。
静岡天満宮のHP:http://www.shizuoka-tenmangu.jp/
写真1:「静岡天満宮」正面。鳥居は梅の木に覆われている。
写真2:社殿。社殿の脇(向かって左側)に菅原景行公を祀る小祠「景行社」がある。
写真3:境内にある「川中天神伝説之地」の碑