布袋山 自在院 平澤寺(ほていさん じざいいん へいたくじ)。本尊:千手観音。
場所:静岡市駿河区平沢50。県道407号線(静岡草薙清水線、通称:南幹線)から、県立美術館へ上っていく道路の1本南の道路を道なりに約2.5km。途中、道幅が狭い所もあるので注意。駐車場あり。
寺伝によれば、和銅年間(708~715年)に行基菩薩がこの地に草堂を建て、自刻の地蔵菩薩を安置したことが始まりで、養老2年(718年)に行基菩薩が再訪し「駿河七観音」の1体を納めて本尊としたという。
日本平丘陵の北麓に2本の谷があり、東側が草薙の谷で、中央の凸部には県立大学・美術館・図書館などができて住宅地も増えてきているが、西側の平沢の谷は今も農村の雰囲気を残しており、ハイキング客も多い。沢というのは山間にあるのが普通であるが、ここの沢は平地から湧き出ているので「平沢」と名付けられたという。また、当寺のある辺りは、道路の両側の山が高くなっており、袋のなかのような印象を与えることから「布袋山」という山号にしたとされる。ハイキング客が多いのも、この道路が「久能寺」へ向かう道だったからで、当寺はかつて「久能寺」の子院であった可能性が高い。したがって、この頃は天台宗寺院であったと思われるが、室町時代以降、駿河国守護・今川氏の崇敬を受け、特に今川義元は毎月当寺に参詣し、そのため自らが休憩する仮殿まで建てたという。天文年間(1532~1555年)には新義真言宗に改宗した(現在は真言宗智山派)が、今川・武田・徳川時代を通じて領主の保護を受け、平沢村全村を寺領とするなどして栄えたが、明治になって寺領を取り上げられ、無住となった。しかし、その後も壇信徒が寺を守り、貴重な建築物・仏像等が守られた(その後、住職が入ったのは昭和17年)。
「平沢観音 平澤寺」のHP
写真1:「平澤寺」山門
写真2:観音堂は、この石段の上
写真3:観音堂
場所:静岡市駿河区平沢50。県道407号線(静岡草薙清水線、通称:南幹線)から、県立美術館へ上っていく道路の1本南の道路を道なりに約2.5km。途中、道幅が狭い所もあるので注意。駐車場あり。
寺伝によれば、和銅年間(708~715年)に行基菩薩がこの地に草堂を建て、自刻の地蔵菩薩を安置したことが始まりで、養老2年(718年)に行基菩薩が再訪し「駿河七観音」の1体を納めて本尊としたという。
日本平丘陵の北麓に2本の谷があり、東側が草薙の谷で、中央の凸部には県立大学・美術館・図書館などができて住宅地も増えてきているが、西側の平沢の谷は今も農村の雰囲気を残しており、ハイキング客も多い。沢というのは山間にあるのが普通であるが、ここの沢は平地から湧き出ているので「平沢」と名付けられたという。また、当寺のある辺りは、道路の両側の山が高くなっており、袋のなかのような印象を与えることから「布袋山」という山号にしたとされる。ハイキング客が多いのも、この道路が「久能寺」へ向かう道だったからで、当寺はかつて「久能寺」の子院であった可能性が高い。したがって、この頃は天台宗寺院であったと思われるが、室町時代以降、駿河国守護・今川氏の崇敬を受け、特に今川義元は毎月当寺に参詣し、そのため自らが休憩する仮殿まで建てたという。天文年間(1532~1555年)には新義真言宗に改宗した(現在は真言宗智山派)が、今川・武田・徳川時代を通じて領主の保護を受け、平沢村全村を寺領とするなどして栄えたが、明治になって寺領を取り上げられ、無住となった。しかし、その後も壇信徒が寺を守り、貴重な建築物・仏像等が守られた(その後、住職が入ったのは昭和17年)。
「平沢観音 平澤寺」のHP
写真1:「平澤寺」山門
写真2:観音堂は、この石段の上
写真3:観音堂