滝不動(たきふどう)。通称「いぼとり不動尊」。
場所:静岡県富士市原田1167にある「大富山 永明禅寺(だいふさん ようみょうぜんじ)」(吉原第三中学校の西、約400m)の正面右手の道路に入って直ぐ。
「滝不動」は、「永明寺」の元鎮守堂で、堂の左手にある池に流れ落ちる小川の水をイボ(疣)に付けてお参りすると、イボが取れるという。傍らの説明板によれば、「昔、イボがたくさんできている娘がいた。何とかしてイボを取りたいと、この不動尊に毎日お参りすると、満願の21日目の夢枕に不動尊が現れ、「池の水をかけろ」とのお告げがあった。娘が翌朝、池の水をかけると、見るまにイボが取れて、美しい娘になった。」という伝説があるという。以来、「いぼとり不動尊」と呼ばれ、イボで悩んでいる人がお参りに来るとのこと。イボ取りに霊験あらたかな神仏は全国各地にあり、中には霊石の窪みに溜まった水をつけるというものが結構多くあるが、ここの水は富士山の伏流水だろうから透明で、水量もかなり豊かなので、確かに利きそうではある。
ところで、「永明寺」は、寺伝によれば天平勝宝8年(756年)、今より北の高台に「大富山 金輪院」として開創し、長く真言宗の寺院であった。その後、文明4年(1472年)に行之正順禅師が曹洞宗に改宗・改号したとされる。本尊は聖観世音菩薩。因みに、当寺にも不思議な話があり、葬式の列が山門を通ろうとすると、遺体が消えるという伝説がある(下記HP)。また、当寺の西隣は「鎧ヶ渕親水公園」となっているが、源頼朝が富士川の合戦の折に鎧を脱いで身体を洗ったという伝承から「鎧ヶ渕」という名がついたという。行基菩薩開創というのはともかく、古くから水が豊かで、住みやすいところだったのだろう。近くに「鑑石」、「滝川観音(妙善寺)」、「滝川神社」、「竹採公園(比奈公園)」などがあって見所も多く、散策するのに好適である。
平松皮膚科医院さんのHP「いぼとり神様・仏様」から(いぼとり不動尊(滝不動))
富士市のHPから(ふるさとの昔話2:死骸が消える永明寺の山門)
写真1:「大富山 永明禅寺」入口。奥に山門がある。
写真2:本堂
写真3:「滝不動」の不動堂。鳥居がある。
写真4:堂の左脇にある池に石の不動明王像が置かれ、流れ落ちる小川の水を浴びている。
場所:静岡県富士市原田1167にある「大富山 永明禅寺(だいふさん ようみょうぜんじ)」(吉原第三中学校の西、約400m)の正面右手の道路に入って直ぐ。
「滝不動」は、「永明寺」の元鎮守堂で、堂の左手にある池に流れ落ちる小川の水をイボ(疣)に付けてお参りすると、イボが取れるという。傍らの説明板によれば、「昔、イボがたくさんできている娘がいた。何とかしてイボを取りたいと、この不動尊に毎日お参りすると、満願の21日目の夢枕に不動尊が現れ、「池の水をかけろ」とのお告げがあった。娘が翌朝、池の水をかけると、見るまにイボが取れて、美しい娘になった。」という伝説があるという。以来、「いぼとり不動尊」と呼ばれ、イボで悩んでいる人がお参りに来るとのこと。イボ取りに霊験あらたかな神仏は全国各地にあり、中には霊石の窪みに溜まった水をつけるというものが結構多くあるが、ここの水は富士山の伏流水だろうから透明で、水量もかなり豊かなので、確かに利きそうではある。
ところで、「永明寺」は、寺伝によれば天平勝宝8年(756年)、今より北の高台に「大富山 金輪院」として開創し、長く真言宗の寺院であった。その後、文明4年(1472年)に行之正順禅師が曹洞宗に改宗・改号したとされる。本尊は聖観世音菩薩。因みに、当寺にも不思議な話があり、葬式の列が山門を通ろうとすると、遺体が消えるという伝説がある(下記HP)。また、当寺の西隣は「鎧ヶ渕親水公園」となっているが、源頼朝が富士川の合戦の折に鎧を脱いで身体を洗ったという伝承から「鎧ヶ渕」という名がついたという。行基菩薩開創というのはともかく、古くから水が豊かで、住みやすいところだったのだろう。近くに「鑑石」、「滝川観音(妙善寺)」、「滝川神社」、「竹採公園(比奈公園)」などがあって見所も多く、散策するのに好適である。
平松皮膚科医院さんのHP「いぼとり神様・仏様」から(いぼとり不動尊(滝不動))
富士市のHPから(ふるさとの昔話2:死骸が消える永明寺の山門)
写真1:「大富山 永明禅寺」入口。奥に山門がある。
写真2:本堂
写真3:「滝不動」の不動堂。鳥居がある。
写真4:堂の左脇にある池に石の不動明王像が置かれ、流れ落ちる小川の水を浴びている。