神が宿るところ

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小菅万葉公園

2013-04-13 23:46:10 | 伝説の地
小菅万葉公園(こすげまんようこうえん)。
場所:東京都葛飾区小菅1-35-16。東武鉄道伊勢崎線「小菅」駅の北、約150m。東京拘置所の西側の塀沿い。駐車場なし。
古代、東京湾は現在よりも奥まで入江が入り込んでいて、現・東京都葛飾区小菅付近に海岸線があったともいわれている。また、小菅付近には古隅田川の河口があったとされる。古代には隅田川が国境となっていたから、武蔵国と下総国の国境の地域でもあったということになる。現在も町名としての小菅は葛飾区だが、「小菅」駅は足立区にある。
万葉集の東歌のなかに「古須気(こすけ)ろの 浦吹く風の あどすすか 愛(かな)しけ児ろを 思いを過さむ」(巻14-3564)と詠まれた歌がある。「小菅の入江に風が吹き過ぎてゆくように、どうしたら愛しい彼女を心にとどめず過ごすことができるだろうか。(いや、できない。)」という意味のようだが、「古須気」が地名の小菅なら、万葉集の頃(成立:8世紀後半?)には、小菅が入江だったことの証拠になる。賀茂真淵は「万葉考」の中で、この歌について「武蔵と下総の国境近くに小菅という地名があり、元は浦辺であった。」(かなり省略した引用)というようなことを書いている。ただし、「小菅」というのを植物の名として、つまり、小さな菅(スゲ。カヤツリグサの一種)と解する説もある。そうすると、歌の意味もかなり違ってくる。
さて、この万葉歌を記念して(多分)、東京拘置所の西側の堀の脇にある細長い公園に「小菅万葉公園」という名がついている。ただし、万葉歌碑などはなく、なぜ「万葉公園」なのか、わからない人も多いだろうと思う。

因みに、東京拘置所のある場所は、江戸時代初期には関東郡代伊奈忠治の広大な下屋敷で、徳川吉宗のとき、将軍家の鷹狩りの際の休息所となった(「小菅御殿」)。明治時代には、小菅県の県庁が置かれたが、短期間で廃止となり、監獄と煉瓦工場となった。この小菅監獄が現在の東京拘置所に引き継がれたという。


写真1:「小菅万葉公園」北側入口


写真2:小さな滝や遊歩道も整備されている。向って左が東京拘置所のフェンス、奥に見えるのが首都高速東京環状線の高架と荒川の土手。
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