神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

隅田川神社

2013-04-20 23:21:57 | 神社
隅田川神社(すみだがわじんじゃ)。
場所:東京都墨田区堤通2-17-1。東武電鉄伊勢崎線「鐘ヶ淵」駅の西、約700m。隅田川左岸(東岸)。駐車場有り。
創建時期は不明であるが、治承4年(1180年)、源頼朝が挙兵のとき、この地で隅田川に船橋を架けて渡った際に水神を祀ったのを創始とするともいう。祭神は速秋津日子神・速秋津比売神ほか。当初の鎮座地は、現在地より100mほど北にあったとされるが、「水神の森」と称された微高地で、隅田川が増水しても沈むことがなく、「浮島」とも呼ばれたともいう。このため、近世には「水神宮」、「水神社」のほか、「浮島の宮」ともいわれ、水上交通の神として舟で隅田川を往来する人々の信仰を集めた。なお、当地の通称である「鐘ヶ淵」は、隅田川が大きく蛇行する場所として「曲ヶ淵」といわれたところで、かつては隅田川の河口であったともいう。
さて、「延喜式」に記された古代東海道では、武蔵国最後の駅である「豊嶋」駅(現「谷中霊園」付近と推定)から東に進み下総国に向うと、隅田川が国境となる。大河に渡し船の増強を指示した承和2年(835年)の太政官符によれば、「武蔵下総両国堺住田河四艘」とあり、この「住田河」が隅田川であって、隅田川が武蔵国と下総国の国境になっていたことがわかる。ただし、河川の流路は変わるし、江戸幕府による新たな水路の開削や流路の変更等もあって、古代の国境がどこであったかは厳密にはわからない。ただ、古代東海道のルートを推定すると、隅田川(住田河)の渡河点は「隅田川神社」の旧社地付近が有力だろうと思われる。時代はやや下るが、源頼朝の当神社創始の伝承が正しければ、頼朝軍も古代東海道のルートで行軍してきたのだろうと考えられる。
なお、近世には、隅田川の渡し場はいくつかあり、当神社付近にも「水神の渡し」があった。記録に残る最も古い隅田川の渡し場は「橋場の渡し」または「白髭の渡し」といい、現・白髭橋(当神社の約500m下流)付近にあったとされ、こちらが古代東海道からの渡し場であったといわれるが、厳密な場所は判ってはいないようだ。現・水神大橋から白髭橋の間にあったと考えれば、大きな間違いはないように思われる。


東京都神社庁のHPから(隅田川神社)


写真1:東京都道(吾妻橋伊興町線)沿い、都営白髭東アパート9号棟前にある「隅田川神社参道蹟」の石碑。ここから東に、「鐘ヶ淵」駅の南側を通る直線的な道路がある。これが古代東海道の痕跡であるとされる。


写真2:「隅田川神社」境内入口の鳥居と社号標


写真3:社殿。狛犬の代わりに亀が守っている。背後に見えるのは首都高速6号向島線の高架。その下に隅田川の堤防がある。


写真4:境内の「水神宮」の石碑


写真5:神社裏は高い堤防になっていて、隅田川は見えない。上流の水神橋の上から隅田川を眺める。左手に東京スカイツリーも見える。
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