神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

川原毛地獄(出羽国式外社 ・その3?)

2015-12-19 23:35:48 | 寺院
川原毛地獄(かわらげじごく)。
場所:秋田県湯沢市高松字湯尻沢。国道13号線「須川」交差点から秋田県道51号線(湯沢栗駒公園線)に入り、東南へ約13km、「三途川渓谷」の少し先、「川原毛大湯滝」の案内標識が出ているところを右折(南へ)、そこから道なりに約5km。舗装路だが、すれ違いが難しいほど狭く(「川原毛大湯滝」の野湯に入ろうとする物好きが多いせいか、山奥なのに案外すれ違うことが多い。)、注意。駐車場あり。なお、「川原毛大湯滝」へは、駐車場から徒歩15分。
「川原毛地獄」は、「恐山」(青森県むつ市)、「立山」(富山県立山町)と並ぶ「日本三大霊地」の1つとされる。その名の通り、草木が生えない不毛の硫黄山で、江戸時代には秋田・久保田藩の硫黄採取場となり、昭和41年に鉱山としては閉山となったが、今も噴煙が噴出し、硫黄の黄色い色が観察できる荒涼とした場所(一部は濃い硫化水素ガスのため立ち入り禁止)である。霊場としては、大同2年(807年)に月窓和尚が天台宗「霊通山 前湯寺(れいつうさん ぜんとうじ)」を建立したのが始まり。和尚は奇岩、池など136ヵ所を地獄に見立てた。仏典に8大地獄に各々16の小地獄が付随しているとすることによる。天長6年(829年)には、円仁(後の天台宗第3代座主、慈覚大師)が訪れ、「賀波羅偈通融嶮(かわらげつうゆうけん)」に庵を結び、自彫の「佉羅陀地蔵尊(からだじぞうそん)」などを祀った。その後は、人里離れ、あまりに厳しい環境のため寂れていたが、明徳4年(1393年)に梅檀上人により「三途川 十王坂」(現・湯沢市高松字三途川)に移され、長禄3年(1459年)には、当時の稲庭城主・小野寺弥太郎道広が檀郡寺開基となって曹洞宗「嶺通山 廣澤寺(れいつうさん こうたくじ)」に改め、現在地(湯沢市稲庭町字小沢112)に移転した。本尊:釈迦牟尼仏。
さて、「湯沢市史」によれば、「日本三代実録」貞観4年(862年)記事に「熊通男神、石通男神、真蒜神に従五位下を授ける」とあるが、「熊通男神(ゆうついおのかみ)」を「川原毛地獄」、「石通男神(しゃくついお)」を「石神山」(湯沢市皆瀬)、「真蒜神」を「真昼岳(山)」(秋田県仙北郡美郷町、前項「真昼山三輪神社」2015年12月12日記事参照)の神とする。「ユウツイ」は蝦夷の言葉で「複数の温泉」という意味だそうである。その当否については、何とも言えないのだが...。


湯沢市のHPから(川原毛地獄)

湯沢市ジオパーク推進協議会のブログから(菅江真澄と歩く⑫ 「幻の湯から未踏を望む」) :「石神山」は登山の対象にもなっていないようで、殆ど情報がない。この記事のように、かつては巨大な石の威容があったのなら、確かに「石神」と呼んで差し支えないと思われる。


写真1:「川原毛地蔵菩薩」。「霊通山 前湯寺」があった場所に建立されたものという。


写真2:地蔵像前の渓谷からも湯気が立っている。


写真3:「川原毛地獄」。今も硫化水素ガスが出ているところがあり、硫黄で黄色くなっている。


写真4:同上。南側、秋田県道310号線(秋ノ宮小安温泉線)側の駐車場から。


写真5:同上。遊歩道があるが、有毒ガスの具合によっては、地蔵像や「川原毛大滝湯」まで行けないこともある。


写真6:「三途川渓谷」に架かる「三途川橋」。閻魔大王像などが安置されている。


写真7:「三途川十王堂」入口(場所:「三途川渓谷」に架かる「三途川橋」北詰付近。南詰に駐車場有り)


写真8:「三途川十王堂」


写真9:同上、堂内の十王像(湯沢市指定文化財)


写真10:「嶺通山 廣澤寺」寺号標。国道398号線から少し東に入ったところにあり、寺はこの奥、約150m。


写真11:同上、境内入口。奥に見える四脚の楼門が寺格の高さを示す。


写真12:同上、本堂(場所:国道398号線を「湯沢市役所皆瀬庁舎」前付近から北へ約1.3km、「小沢」バス停付近から東に約200m。駐車場有り)
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