神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

青山神社(茨城県城里町)(常陸国式内社・その17)

2019-06-01 23:45:07 | 神社
青山神社(あおやまじんじゃ)。
場所:茨城県東茨城郡城里町上青山229。国道123号線と茨城県道61号線(日立笠間線)の交差点「石塚二本松」から県道を西へ約2.6km。駐車場スペース有り。
社伝によれば、宝亀3年(772年)、神託により紀伊国式内社(名神大)「伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)」(現・和歌山県和歌山市)の祭神である五十猛神(イソタケル)を勧請して創建された。 「日本書紀」によれば、高天原を追放された素戔嗚尊(スサオノ)とその子・五十猛神は新羅に降り立つが、その地が気に入らず、出雲国に移動した。素戔嗚尊は高天原から持ってきた木の種を五十猛神に渡し、その種を蒔くように命じた。五十猛神は九州から順に種を蒔き始めて日本国中を青山にし、最後に「木の国」(紀伊国)に降り立ち、そこで祀られた、とされる。ということで、当神社も「木の神」を祀ったもので、「青山神社」という社名もこの説話による。しかし、近世には「若宮八幡宮」、「八幡宮」、「鹿島明神」などと誤り伝えられたが、元禄9年(1696年)に水戸第2代藩主・徳川光圀の命により往古の「青山神社」に復したという。「延喜式神名帳」常陸国那賀郡鎮座の「青山神社」に比定される式内社で、現在の祭神は五十猛神。
なお、現・山形県東田川郡三川町に鎮座する「青山神社」は、「後三年の役」(1083~1087年)のとき、源義家が当神社に戦勝祈願し、平定後に当神社の分霊を勧請したという(「常北町史」による。)。
ところで、当神社境内を中心として、東西約400m、南北約150mの範囲に、高さ1m程度の40基余の円墳と方墳2基が集中する「上青山古墳群」が存在している。当神社の神宝として、元禄年間の社殿再建の際に本殿地より発掘された埴輪女子頭部があるという。そして、当神社に関するホームページやブログでは殆ど触れられていないのだが、「常北町史」によれば、当神社の南、約300mのところに「元宮」と呼ばれる場所がある、との記述がある。そこは田圃の中だが、耕作されず、下肥などを使わないという。昭和41年までは「高祓(たかはらい)」という特殊神事が行われていたとされる。ひょっとすると、本来は、現在の「青山神社」の森=上青山古墳群を神聖な場所として、そちらに向かって何らかの祭祀を行う形だったのではないだろうか。


写真1:「青山神社」一の鳥居


写真2:鳥居横の社号標(「延喜式内 青山神社」)


写真3:参道脇の「常北八景 青山の秋の月」石碑。「八景」というのは8つの優れた風景を選んだもので、10世紀の中国・北宋で選ばれた「瀟湘八景」がモデルとされる。その中で「秋月」というのは6番目のもので、定形化されたもの。


写真4:森の中の参道


写真5:二の鳥居


写真6:拝殿


写真7:本殿


写真8:「元宮」? 上の写真を撮った後しばらくして存在を知り、冬に改めて訪問したため、木に青葉がなく、映えない写真なのが残念。


写真9:「元宮」?から「青山神社」の森を見る。鳥居が小さく見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする