高根山 閑心院 大山寺(たかねさん かんしんいん たいさんじ)。通称:虫封じ高根山。
場所:茨城県東茨城郡城里町高根118。国道123号線と茨城県道112号線(阿波山徳蔵線)の「大桂大橋入口」から県道を南西へ約800mのところで右折(案内板がある。)、直ぐ。駐車場有り。
寺伝によれば、弘仁元年(810年)、弘法大師(空海)の開創という。「桂村史」によれば、永享10年(1438年)頃、宥阿上人が入って中興し、「符貴山 金剛王院 妙法寺(ふきざん こううごうおういん みょうほうじ)」と称した。その後、炎上焼失したが、長禄元年(1457年)に第5代大山城主・大山因幡守義成が祈願所として堂宇を造営し、「高根山 閑心院 大山寺」に改めた。第8代大山城主・大山義勝には嫡子がなかったが、当寺院の乾闥婆王尊(けんだつばおうそん)に祈願したところ、男子(のちの大山義則)が生まれたので、天文16年(1547年)に願文を奉納して感謝の意を表した(現在も「大山義勝戴書」として遺る。城里町指定文化財)。江戸時代には徳川幕府から朱印地十石を拝領し、末寺20余ヵ寺を擁していたという。現在は真言宗豊山派の寺院で、本尊は大日如来(金剛界)。上記にもあるように、古くから乾闥婆王尊の画(弘法大師の真筆という。)を祀り、虫封じ・子授け・安産の守り神として信仰され、「虫封じ高根山」という通称がある。また、「関東八十八ヵ所霊場」の第31番札所となっている。
大山寺のHP
写真1:「大山寺」県道からの参道入口。大きな寺号標がある(「虫切婆王尊高根山大山寺」)。最初は「婆王」というのが何かわからず、「お婆さんの王?」と思ってしまった。
写真2:境内に入ったところにある仁王門
写真3:更に山門がある。典型的な室町時代の様式を有しているとされる。現在は瓦葺だが、かつては萱葺だったとのこと(城里町指定文化財)。
写真4:弘法大師堂(石造の弘法大師像が祀られている。)
写真5:本堂(本尊:金剛界大日如来)
写真6:乾闥婆王尊堂。乾闥婆(ガンダルヴァ)は、元はインドの神で、インドラ(帝釈天)に仕える楽器演奏の神。乾闥婆を単独で祀る堂があるのはきわめて珍しい。
写真7:鐘楼
場所:茨城県東茨城郡城里町高根118。国道123号線と茨城県道112号線(阿波山徳蔵線)の「大桂大橋入口」から県道を南西へ約800mのところで右折(案内板がある。)、直ぐ。駐車場有り。
寺伝によれば、弘仁元年(810年)、弘法大師(空海)の開創という。「桂村史」によれば、永享10年(1438年)頃、宥阿上人が入って中興し、「符貴山 金剛王院 妙法寺(ふきざん こううごうおういん みょうほうじ)」と称した。その後、炎上焼失したが、長禄元年(1457年)に第5代大山城主・大山因幡守義成が祈願所として堂宇を造営し、「高根山 閑心院 大山寺」に改めた。第8代大山城主・大山義勝には嫡子がなかったが、当寺院の乾闥婆王尊(けんだつばおうそん)に祈願したところ、男子(のちの大山義則)が生まれたので、天文16年(1547年)に願文を奉納して感謝の意を表した(現在も「大山義勝戴書」として遺る。城里町指定文化財)。江戸時代には徳川幕府から朱印地十石を拝領し、末寺20余ヵ寺を擁していたという。現在は真言宗豊山派の寺院で、本尊は大日如来(金剛界)。上記にもあるように、古くから乾闥婆王尊の画(弘法大師の真筆という。)を祀り、虫封じ・子授け・安産の守り神として信仰され、「虫封じ高根山」という通称がある。また、「関東八十八ヵ所霊場」の第31番札所となっている。
大山寺のHP
写真1:「大山寺」県道からの参道入口。大きな寺号標がある(「虫切婆王尊高根山大山寺」)。最初は「婆王」というのが何かわからず、「お婆さんの王?」と思ってしまった。
写真2:境内に入ったところにある仁王門
写真3:更に山門がある。典型的な室町時代の様式を有しているとされる。現在は瓦葺だが、かつては萱葺だったとのこと(城里町指定文化財)。
写真4:弘法大師堂(石造の弘法大師像が祀られている。)
写真5:本堂(本尊:金剛界大日如来)
写真6:乾闥婆王尊堂。乾闥婆(ガンダルヴァ)は、元はインドの神で、インドラ(帝釈天)に仕える楽器演奏の神。乾闥婆を単独で祀る堂があるのはきわめて珍しい。
写真7:鐘楼