神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

小坂神社(茨城県城里町)

2019-06-08 23:40:33 | 神社
小坂神社(おさかじんじゃ)。別名:笠宮(かさのみや)。
場所:茨城県東茨城郡城里町小坂838。「青山神社」(前項)鳥居前から茨城県道61号線(日立笠間線)を南西へ約700m、感応式信号機のある交差点(「小坂 入口」という案内標識がある。)を右折(「小坂」方面、北西へ)、突き当り丁字路を左折(西へ)、約800m進んだところで左手の側道のような道路に入る。突き当り丁字路の正面に「小坂神社」の由緒を書いた説明板が立っている。その奥に見える森が当神社だが、道路は突き当りを左折して、その先の右手が参道入口。駐車場なし(境内駐車可と思われる。)。
創建年代は不明。小坂の地にあった「笠宮」・「飯野宮」・「熊野権現」の3社を明治4年に合祀し、現社号に改めた。天正5年(1577年)、石塚城主・石塚義國が社殿を造営したとされるが、「笠宮」の御神体は笠形の石であり、一説に大同2年(807年)創建ともいう。「飯野宮」の御神体は木造神像で、この神像には文明11年(1479年)銘がある(在銘神像としては県内最古。城里町有形文化財)。現在の祭神は手力雄命(タヂカラオ)と倉稲魂命(ウカノミタマ)。
さて、常陸国二宮「靜神社」(2018年2月24日記事)に配祀されている手力雄命は、「新編常陸国誌」(江戸時代後期)によれば、小勝村(現・茨城県城里町小勝)から当地に移したもの、という記事がある。その根拠は不明で、「小勝」は当地より西方にあるが、それらしい神社は(現在は)ない。一方、「笠宮」は「靜神社」の本宮といわれ、「靜神社」の例祭には「笠宮」の神職が榊を持って行き、祭礼を行ったという伝承がある。延宝年間(1673~1681年)以降は、「笠宮」の榊を「靜神社」の境内に移植したとされる。


茨城県神社庁のHPから(小坂神社)

城里町のHPから(神像)


写真1:「小坂神社」境内入口。鳥居は見当たらず。


写真2:社号標


写真3:拝殿


写真4:本殿


写真5:社殿横の「笠懸の松」跡(切り株)。太古、手力雄命が当地で憩われた際、傍らの松に笠を懸けられたという。その後、その松は枯れたが、源義家が安倍氏征伐(「前九年の役」)のため陸奥国に向かう途中に当神社に戦勝を祈願し、帰途に枯れた松の脇に苗を植えたものとされる。その松は昭和37年に茨城県天然記念物に指定されたが、虫害により昭和48年に伐採されてしまったという。


写真6:社殿。南側から見る。社殿は南向きで、写真1の境内入口は東側にあるので、社殿の横に出る形。境内の南側にも道路があるのだが、その道路に出る参道がないのが不思議。集落が東側にあるためだろうか。
コメント
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