神が宿るところ

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景行天皇行在所跡(茨城県稲敷市)

2022-07-23 23:33:04 | 史跡・文化財
景行天皇行在所跡(けいこうてんのうあんざいしょあと)。浮島宮推定地。
場所:茨城県稲敷市浮島4571。茨城県道206号線(新川江戸崎線、通称:カントリーライン)「浮島局東」交差点(コンビニ「ファミリーマート稲敷浮島店がある。)から、県道を南東へ約350m、「景行天皇行在所跡→」の案内標識のところで狭い道路に入る。駐車スペース有り。
「常陸国風土記」信太郡の条に、「大足日子(オオタラシヒコ)天皇が浮島の帳宮に行幸されたときに、飲み水が無かった。そこで占いをさせて、井戸を掘らせた。」(現代語訳)という記事がある。大足日子天皇というのは第12代・景行天皇のことであり、子の日本武尊(ヤマトタケル)の死後、その事蹟を偲ぶため東国巡幸を行ったとされている(「日本書紀」)。ただし、そもそも、その実在性も疑問視されていることもあり、常陸国まで行幸したかは不明だが、「常陸国風土記」の記事になるくらい、古くから信じられていたということなのだろう。この「浮島」というのが現・稲敷市浮島で、「帳宮」は通称「お伊勢の台」と呼ばれる小丘がその場所であるとの伝承がある。「帳宮(とばりのみや)」というのは、行宮(仮宮)として「帳」(布の幕)を垂らして囲っただけのものとされる。なお、「お伊勢の台」は、かつてこの丘から景行天皇(あるいは日本武尊)が「伊勢神宮」を遥拝した、ということから名付けられたという。
また、「常陸国風土記」の逸文とされるものとして、「塵袋」(鎌倉時代中期頃)に「景行天皇はこの行宮に三十日間滞在した。その間、賀久賀鳥(カクカトリ)の声を聞いて、伊賀理命(イカリ)に命じて網でこの鳥を捕まえさせた。伊賀理命がうまく捕まえたので、鳥取(トトリ)という姓を与えた。その子孫が今もここに住んでいる。」(現代語訳)というような記述がある。「賀久賀鳥」(「覚賀鳥」とも書く。)は、「カカ」あるいは「カクカク」と鳴く鳥で、今でいう「ミサゴ」(タカ目ミサゴ科の猛禽類、海岸付近に生息する。)のことだそうである。鳴き声を愛でるというイメージがあまり湧かないが、当地は今よりももっと海に近かっただろうし、もっと荒涼としていただろうから、鳥の飛ぶ姿にも癒されたのかもしれない。


写真1:「景行天皇行在所跡」入口


写真2:通称「お伊勢の台」という小さな丘になっている。南側に説明板と登り口がある。


写真3:同上


写真4:丘の上に少し平らなところがある。


写真5:「景行天皇行在所遺址」碑


写真6:北側から見る。なお、木々に遮られて丘上からの眺望はないが、北側に蒼く波立ったようなものが見えたので、一瞬、霞ヶ浦かと...思ったのだが、実は一面のソーラーパネルだった。


写真7:北西側から見る。
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