神が宿るところ

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検見川神社

2013-11-16 23:05:00 | 神社
検見川神社(けみがわじんじゃ)。
場所:千葉県千葉市花見川区検見川町1-1。京成電鉄千葉線「検見川」駅の北、約100m。駐車場有り。
社伝によれば、創建は貞観11年(869年)。全国で流行した疫病を鎮めるため、京都・神泉宛で矛を66本立てて御霊会(現在の祇園祭)を行い、その後、「祇園社」(現・「八坂神社」)の祭神・素盞嗚尊の分霊として矛を全国で祀らせた。そのとき下総国で祀られた場所が「葛飾原」の「嵯峨」と呼ばれた地で、それが当神社の創始という。その後、兵部少輔平春靖が土着して当地の開墾を始めたところ、素盞嗚尊の祟りにより疫病が流行したことから、承平4年(934年)に社殿を建立した。嵯峨は現在地の北隣で、現在の花輪台という地には文禄年間(1592~1596年)に遷座したという。また、元和2年(1616年)には稲荷神社を、寛永年間(1624~1644年)に熊野神社(応永16年(1409年)創建)を合わせ祀ったことから、現在は、中神殿に素盞嗚尊を、東神殿に宇迦之御魂神を、西神殿に伊弉冉尊を祀っていて、この3柱の神を総称して「神祇三社検見川大明神」と称している。
さて、上記の「嵯峨」という地名は、嵯峨天皇(在位:大同4年(809年)~弘仁14年(823年))に因むと伝えられる。いや、それより、当神社の北には縄文時代の落合遺跡(現・東京大学検見川総合運動場内)があり、古代の「大賀ハス」の種子が発見されたことで有名だが、複数の丸木舟も出土して、この地が縄文時代に既に舟溜まりがあったとみられている。また、中世、連歌師の柴屋軒宗長の旅行記「東路の津登」によれば、永正6年(1509年)10月22日の条に「はまのむらをたちて、気見川といふ所に浦風余り烈しかりしかば、一宿して・・・」という件があり、当時、検見川に宿と湊があったものと思われる。こうしたことから、検見川も、古代東海道の「浮嶋」駅の候補地の1つに挙げられているようだ。


検見川神社のHP


写真1:「検見川神社」正面(南側)鳥居。


写真2:台地上の社号標は「下総之国神祇三社 検見川神社」となっている。


写真3:社殿
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