神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

尾島神社(茨城県稲敷市)

2022-07-16 23:34:24 | 神社
尾島神社(おじまじんじゃ)。
場所:茨城県稲敷市浮島5678番地イ。茨城県道206号線(新川江戸川線)「浮島局東」交差点から南西に約300mで左折(南東へ)、約750m。駐車場なし。境内地は県道沿いだが、こちらからは入れず、鳥居前にも舗装路が通っているが、この道路は狭くて、入口もわかりにくいので、上記のようにアプローチするのが行きやすいと思う。なお、「浮島局東」交差点から国道を南東へ約900m行ったところに「稲敷市農産物直売所 浮島」があり、その裏(南側)の道路を北西へ約240m戻ると、鳥居前に着く。
社伝によれば、天安年間(857~859年)の創建。旧村社。主祭神は大名持命(オオナモチ)。と、このくらいしかわからないのだが、関東~東北地方の古社寺で大同年間(806~810年)創建とするものが多い中、天安年間というのは珍しく、寧ろ何らかの根拠・由来があるのではないかと思わせる。一方、祭神のオオナモチは大国主神の別称で、出雲国一宮「出雲大社」や大和国一宮「大神神社」などの祭神として知られ、一般的には国土開発の神とされるが、国津神の主神として、本来は名もなき土着神が(ヤマト政権下において)神社に祀られる際に祭神とされた可能性も考えられる。
というのは、「常陸国風土記」信太郡条に「浮島村は長さ2千歩(約3600m)、幅は4百歩(約720m)。四方は海で、山野が入り混じっている。家は15戸、田は7~8町(約700~800a)。住民は製塩を業とし、9つの神社がある。住民は言動を慎み、禁忌に触れないようにしている。」(現代語訳)という記事がある。現在、浮島地内には当神社の外に2~3社があるが、古代にまで創建が遡るのは当神社のみと思われる。社伝では、当神社の創建は「常陸国風土記」編纂の時期(8世紀前半)より後になるが、それ以前から当地では何らかの祭祀が行われていたことがわかっているので、当神社は「常陸国風土記」にいう9つの神社のいずれかの後身ではないかとも考えられる。当神社境内を含む西側一帯で古墳時代の竪穴式住居跡、掘立柱建築跡,工房跡などが発見され、祭祀用土器・祭祀用石製品・焼け土などが出土している(総称して「尾島祭祀遺跡」という。)。浮島は古代には所謂「香取海」に浮かぶ島であり、その名の通り、「尾島」は浮島の先端にあったと考えられる。住民が15戸しかないのに、神社が9つもあるというのも凄いが、製塩を業としているということにも、何か神聖な役割があったのかもしれない。とすると、「大杉神社」(2022年6月4日記事)以上に、「香取海」の海上交通の守護神としての役割があったのではないだろうか。そういう意味で、位置的にみて、常陸国一宮「鹿島神宮」及び下総国一宮「香取神社」との関係を指摘する説もあるようだ。


写真1:「尾島神社」参道入口


写真2:参道途中


写真3:鳥居


写真4:拝殿


写真5:本殿


写真6:境内社


写真7:同上


写真8:鳥居前の道路を東に約170m進んだところにある「馬頭観世音」石碑。天保3年(1832年)銘がある。今では専ら県道206号線がメイン道路だが、かつては当神社の前を人馬が行き交ったことが窺われる。
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