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大串貝塚

2018-07-14 23:02:45 | 史跡・文化財
大串貝塚(おおぐしかいづか)。
場所:茨城県水戸市塩崎町1064-1(「大串貝塚ふれあい公園」内「水戸市埋蔵文化財センター」の住所)。国道51号線「大串公園入口」交差点から南へ約450m、突き当りを左折(東へ)、約100mで「大串貝塚ふれあい公園」入口。駐車場有り。
「大串貝塚」は縄文時代前期に形成された貝塚遺跡で、涸沼川左岸(北岸)の台地の端にある。当時は河口から涸沼側に向かって入江状になっていたらしく、シジミ、アサリ、ハマグリ、サザエ、カキなど、淡水産と海産の貝が混在しているのが特徴である。台地上は削平され、テニスコートやプールを備えた「大串貝塚ふれあい公園」として整備されているが、その東側斜面の貝層が国史跡に指定されており、貝層の断面をガラス越しに見ることができる施設も設けられている。
「常陸国風土記」那賀郡の条に、「平津の駅家の西1~2里のところに、大櫛という岡がある。昔、巨人が居て、岡の上に立ったまま手を伸ばして海辺の砂浜の大ハマグリをくじって(ほじって)食べた。その貝殻が積もって岡となった。元は「大朽」といったが、「大きくくじった」というところから今は「大櫛之岡」と呼んでいる…」というような記述がある。この「大櫛之岡」が「大串貝塚」の台地とされ、その近くに古代官道の「平津」という駅家があったと推定されている(「平津」駅家は現・水戸市平戸付近に比定。)。これにより、「大串貝塚」は、文献に記録された貝塚としては世界で最古のものとされる。なお、巨人の大きさについて、「常陸国風土記」には、足跡の長さが40歩余(1歩=6尺=約1.8mとすると、約72m)、幅20歩余(同約36m)と記載されている。「常陸国風土記」には、この巨人の名前はないが、全国各地に巨人伝説があり、「ダイダラボッチ」(大太郎法師)、「ダイダラボウ」(大太郎坊)、「「デイラボウ」などと呼ばれている。「大串貝塚ふれあい公園」内にも「ダイダラボウ像」があり、大地の端に腰を掛けて那珂川河口(太平洋)方面を眺めている。
因みに、「大串貝塚」から南東に歩いていくと茨城県道40号線(内原塩崎線)に出られるのだが、そこに「折居神社」が鎮座している。創建時期は不明であるが、「武甕槌命」(タケミカヅチ)が東方の凶賊を征討したとき、この地に泉が湧いているのを見て馬から降り、霊水を飲まれたということから、後に村人が「武甕槌命」を祀ったという。県道を隔てた向かい側に「折居の井」がある。ここは台地の麓で、きれいな水が湧いていたのだろう。


関東農政局のHPから(さらに詳しく 大津貝塚と巨人伝説)

水戸市のHPから(大串貝塚ふれあい公園)


写真1:「大串貝塚ふれあい公園」入口近くにある「大串遺跡」石碑


写真2:公園内にある縄文時代の復元住宅


写真3:同、「巨人足跡池」。大きな足の形の池で、ダイダラボウの足跡? (「常陸風土記」の記載に合わせたのだろう、長さ約73m、幅約36mという。)


写真4:同、ダイダラボウ像。高さ15m25cmで、奈良の大仏(14.7m)より少し高い。国道51号線側からもよく見える。


写真5:「国指定史跡 大串貝塚」石碑。公園の南側斜面にある。


写真6:同、貝塚の状態が見られる「貝層断面観覧施設」。


写真7:「折居神社」。「大串貝塚」から南東に住んだところに鎮座。当神社境内入口のところにも「大串貝塚入口」の木碑が立っている。


写真8:「折居の井」(「塩崎集落センター」脇)。水は湧いていないが、「折居の泉 無量水」の石碑が建てられている。
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