神が宿るところ

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穴薬師古墳(茨城県五霞町)

2021-06-12 23:20:14 | 古墳
穴薬師古墳(あなやくしこふん)。
場所:茨城県猿島郡五霞町川妻小字岩穴249外。国道4号線(新4号国道「春日部古河バイパス))「五霞交差点」から茨城県道268号線(西関宿栗橋線)を北西へ約2.9km(途中、約1.3kmのところで県道268号線は右折(北へ)となるので注意。)、「穴薬師古墳入口」の案内看板があるところで左折(南へ)、約130m。駐車場なし。ただし、すぐ手前の「浄雲寺」に駐車スペース有り。
「穴薬師古墳」は茨城県五霞町にある直径約30m、高さ約4mの円墳。五霞町は四方を川に囲まれ、茨城県で唯一、全域が利根川の右岸(南岸)にあるが、古代には下総国猿島郡に属した。それは、古代には利根川本流はかなり南を流れていたからで、現在では、当古墳は現・利根川堤防の直ぐ南側のような感じだが、猿島台地の一部なので河川の氾濫からは免れていたようだ。さて、当古墳には横穴式石室があり、幅約2m、長さ約7mの規模で、奥部は高さ約2mのヒョウタン型。中央部両側に長さ1.5m、0.3m角の門石で前室と奥室とに区切られている。また、下段に人頭大(30cm程)の自然石を並べて基礎とし、その上に整形した軽石を積み上げて側壁としている。奥壁には、板状の石を使って五輪の塔を思わせる模様が描かれているとのこと。古墳時代終末期(7世紀頃?)の造営とされるが、奈良時代の貴族が造ったともいわれているらしい。このような古墳は関東地方には類例がなく、学術上貴重なものとされ、長らく荒廃したまま放置されていたが、昭和47年から復元整備が行われ、茨城県指定文化財に指定された。なお、石室の奥に薬師如来像が安置されていたとのことで(古墳造営時からのものかは不明)、「穴薬師」との名がついた。当古墳の北側に浄土宗「浄雲寺」があり、本堂には阿弥陀如来・薬師如来・如意輪観世音菩薩の三尊が祀られていて、「葛飾坂東観音霊場」第6番札所ともなっていることから、観音霊場としては「岩屋観音」とも通称されているようである。当古墳と無関係ということはあり得ないだろうが、「浄雲寺」がどのような経緯で、いつ創建されたかは不明。
因みに、当古墳にも、開口した石室の古墳によくある「椀貸伝説」の伝説があり、岩屋に向かって村人が何人分かの膳椀を貸してくれるように頼むと、翌朝には希望した数の膳と椀が用意されているというもの。ここにも、岩屋が隠れ里の入口であるとの発想があったのかもしれない。


五霞町のHPから(穴薬師古墳)


写真1:「穴薬師古墳」に向かう道路の入口にある不動明王石像


写真2:浄土宗「浄雲寺」本堂(薬師堂)。


写真3:同上、境内の宝篋印塔と地蔵菩薩石像


写真4:「穴薬師古墳」入口。「浄運寺」から南へ約90m。


写真5:同上、古墳は畑の中にある。


写真6:同上、石室が開口しているが、施錠された鉄格子の扉が設置されている。


写真7:同上、石室。扉から覗くと、きれいな石組がよくわかる。


写真8:同上、墳頂にある「愛宕神社 岩屋神(社)」の石碑。今、祠はない。


写真9:同上、全景。南東側から見る。


写真10:同上、全景。北側から見る。

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