金峯神社(きんぽうじんじゃ)。通称:蔵王権現。
場所:秋田県にかほ市象潟町小滝字奈曽沢1。国道7号線から秋田県道58号線(象潟矢島線)に入って「鳥海山」方面に進み、途中で秋田県道131号線(鳥海公園小滝線)に入り(県道58号線は左折(北東へ)だが、県道131号線は直進(南東~南へ))、約1km。駐車場あり。
当神社は、元は蔵王権現・鳥海山権現・熊野権現を祀る修験の本拠地で、「鳥海山」登拝口の1つ「小滝口」として、学頭寺「龍山寺」が宗坊11坊(小滝の4坊、仁賀保郷内の7坊)を支配したという。今は神社であるが、かつては「蔵王堂」と「熊野堂」であった。
社伝によれば、白鳳9年(680年?)、全国に疫病が流行ったとき、役行者が諸国を廻り当地に至ると滝があり、これぞ霊地と感じた。そこで大和国から蔵王権現を勧請し、薬師密法の行を行うと疫病の流行が治まったので、当地に蔵王堂を建てたのが創始とされる。その後、「手長・足長」という悪鬼が「鳥海山」に棲んで村人を苦しめたので、斉衡3年(856年)に慈覚大師(円仁)が悪鬼を退治し、蔵王堂に一丈六尺の立木観音を安置したという(「小滝口」では「鳥海山大権現」の本地を薬師如来と観音菩薩としていた。)。また、伝承としては、長元年間(1028~1038年)に龍頭八郎という樵が「鳥海山」の峰で瑠璃玉を見つけ、山上で神楽祭礼を行ったところ「鳥海山大権現」が現れて衆生済度を約束したので、龍頭八郎を別当職とする「龍頭寺」が開山されたともいう。これらはあくまで伝説ではあるが、平安時代中期頃と推定される木造聖観音像(慈覚大師自刻と伝える。)が現存していることから、古くからの信仰の地であったことは確からしい。
さて、「小滝口」は現在の「象潟口」に当たり、現在でも最もポピュラーな登山ルートとなっているが、近世最有力であった「蕨岡口」が「表口」・「順峯」、「蕨岡口」と主導権を争った「矢島口」が「逆峯」であったのに対し、「小滝口」は「中ノ口」・「中道」などと称して相当の勢力があり、この3大修験が「鳥海山」の開発を担ったともいわれる。神仏分離に際し、明治2年には「龍山寺」が復飾願いを出して神道式に改めて「蔵王堂」を「鳥海神社」とし、大正2年に境内社の熊野神明社を合祀して現在の「金峰神社」と改称したという。祭神は安閑天皇(神仏習合により蔵王権現と同一視されていた。)のほか、伊弉册命・事解男命など熊野系の神、稲倉魂命(鳥海山大権現と同一神?)など。なお、例祭(6月第2土曜日)において境内で奉納される舞楽が「延年チョウクライロ舞」と呼ばれるもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。これは「長久生容(長く久しく生きる容)」を示すとされ、、一説に「鳥海山」の名の由来ともいわれる。
秋田県神社庁のHPから(金峯神社)
「鳥海山小滝舞楽保存会」さんのHP(金峯神社と舞楽)
写真1:「金峰神社」境内入口の鳥居
写真2:「チョウクライロ山」とも呼ばれる「土舞台」。この上で「チョウクライロ舞」が奉納される。
写真3:向って左側に古い石段があるが、慈覚大師が築いたものとされ、傍らに「慈覚大師御築之石坂」という石碑が建てられている。
写真4:「奈曽の白滝」。国名勝に指定されている。
写真5:「金峰神社」社殿
写真6:社殿前から見える「奈曽の白滝」
場所:秋田県にかほ市象潟町小滝字奈曽沢1。国道7号線から秋田県道58号線(象潟矢島線)に入って「鳥海山」方面に進み、途中で秋田県道131号線(鳥海公園小滝線)に入り(県道58号線は左折(北東へ)だが、県道131号線は直進(南東~南へ))、約1km。駐車場あり。
当神社は、元は蔵王権現・鳥海山権現・熊野権現を祀る修験の本拠地で、「鳥海山」登拝口の1つ「小滝口」として、学頭寺「龍山寺」が宗坊11坊(小滝の4坊、仁賀保郷内の7坊)を支配したという。今は神社であるが、かつては「蔵王堂」と「熊野堂」であった。
社伝によれば、白鳳9年(680年?)、全国に疫病が流行ったとき、役行者が諸国を廻り当地に至ると滝があり、これぞ霊地と感じた。そこで大和国から蔵王権現を勧請し、薬師密法の行を行うと疫病の流行が治まったので、当地に蔵王堂を建てたのが創始とされる。その後、「手長・足長」という悪鬼が「鳥海山」に棲んで村人を苦しめたので、斉衡3年(856年)に慈覚大師(円仁)が悪鬼を退治し、蔵王堂に一丈六尺の立木観音を安置したという(「小滝口」では「鳥海山大権現」の本地を薬師如来と観音菩薩としていた。)。また、伝承としては、長元年間(1028~1038年)に龍頭八郎という樵が「鳥海山」の峰で瑠璃玉を見つけ、山上で神楽祭礼を行ったところ「鳥海山大権現」が現れて衆生済度を約束したので、龍頭八郎を別当職とする「龍頭寺」が開山されたともいう。これらはあくまで伝説ではあるが、平安時代中期頃と推定される木造聖観音像(慈覚大師自刻と伝える。)が現存していることから、古くからの信仰の地であったことは確からしい。
さて、「小滝口」は現在の「象潟口」に当たり、現在でも最もポピュラーな登山ルートとなっているが、近世最有力であった「蕨岡口」が「表口」・「順峯」、「蕨岡口」と主導権を争った「矢島口」が「逆峯」であったのに対し、「小滝口」は「中ノ口」・「中道」などと称して相当の勢力があり、この3大修験が「鳥海山」の開発を担ったともいわれる。神仏分離に際し、明治2年には「龍山寺」が復飾願いを出して神道式に改めて「蔵王堂」を「鳥海神社」とし、大正2年に境内社の熊野神明社を合祀して現在の「金峰神社」と改称したという。祭神は安閑天皇(神仏習合により蔵王権現と同一視されていた。)のほか、伊弉册命・事解男命など熊野系の神、稲倉魂命(鳥海山大権現と同一神?)など。なお、例祭(6月第2土曜日)において境内で奉納される舞楽が「延年チョウクライロ舞」と呼ばれるもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。これは「長久生容(長く久しく生きる容)」を示すとされ、、一説に「鳥海山」の名の由来ともいわれる。
秋田県神社庁のHPから(金峯神社)
「鳥海山小滝舞楽保存会」さんのHP(金峯神社と舞楽)
写真1:「金峰神社」境内入口の鳥居
写真2:「チョウクライロ山」とも呼ばれる「土舞台」。この上で「チョウクライロ舞」が奉納される。
写真3:向って左側に古い石段があるが、慈覚大師が築いたものとされ、傍らに「慈覚大師御築之石坂」という石碑が建てられている。
写真4:「奈曽の白滝」。国名勝に指定されている。
写真5:「金峰神社」社殿
写真6:社殿前から見える「奈曽の白滝」
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